Child's Christmas In Wales

しかし、いつの間に音楽業界、というかCD業界は裾野を広げることよりも、同じ客からお金をむしり取ることの方に力点を置き始めたのだろうか。

まあそりゃあロックンロールの歴史も長くなってきているからそういうことが起きても仕方がないし、むしろ上記の私の発言は単なる言いがかりみたいなものにすぎない、と思われる向きもあるだろう。しかし昨今の重箱の隅をつつくような追加曲付き再発とか、ボックスセット、とかそういうリリースがどかどか相次ぐと、聴けて嬉しいのだが、同時にこういうのばかり嬉々として、もしくは躍起になって買っていて良いのだろうか、という思いが頭をもたげてくる。紙ジャケも良い。リマスターだって良い。良いのだ。しかしふと気づくと、何だか同じ音源に随分金払ってないか自分、だったらもっとまだ出会ってない音源に金払うべきじゃないか自分、となってくるわけである。で、それがエスカレートすると、人生短い、というか限られた時間しかないんだから、まだ見ぬ出会いを求めて!うわー!とかなって家出して野垂れ死んだりしてしまうわけである。あ、勿論過剰な表現であることは百も承知である。

要は何を言いたいかと言うと、未発表曲、未発表ヴァージョンのために、何故私はThe StoogesのファーストThe Stoogesを今度で4回目、となるのにまた買わなければならないのか、ということである。しかし思えば「Fun House」Fun Houseも3回買っている。「Raw Power」Raw Power: Legacy Edition (Dig)も3回買っている。ついでにThe DamnedのファーストDamned Damned Damned: 30th Anniversary Deluxe Editionも4回買っている。世の中The StoogesとThe Damned以外にももっと聴くべき、金を払うべき対象があるだろうに!ということを力説したいわけである私は。

あ、いや、結局自分の問題なんですけどね、はい。しかも、上記の文を書いているうちにThe DamnedのファーストとThe Stoogesの諸作だったらしょうがないか、とかいう気持ちになっている自分がいたりするわけですね、はい。やっぱり結局のところ本当に自分の問題なのですね、はい。とほほ。というか、こういう輩がいるからCD業界も色々発掘したりしてしまうわけなのか、ということは結局これは自分で招いた当然の結果、っつーことなんだな。そうか・・・。

と結果的に何故か反省する結論になっているがJohn Caleの「Paris 1919」を聴く。もともと愛聴盤だったが、先日我が家の近所のXXXk Offで950円で2006年にライノから出たボートラ付きをゲットしたのだった。あー、ほらこういうことだ・・・。まあ、良い。この11曲(+隠し曲)も追加されたボートラ(アルバム本編より多い・・・)がまた内容最高だから・・・、ってこういうところが問題なのか・・・。まあ、良い。1973年にリリースされたJohn Caleのウタモノアルバムとしてソロ2枚目の作品である。プロデュースがChris Thomasだったりして、抜けの良い音になっているのだが、ここに収められた楽曲のポップでチャーミングな輝きは一体何なのだ、と毎回聴くたびに思わざるを得ない。La Monte YoungとかTony ConradとかTerry Rileyとの共演とかで知られるばっきばきの実験野郎であるにも関わらずなんでこんなに美しいメロディばかりなのだ、とか単純に思わざるを得ないのだが、人間そんなに単純な生き物ではない、ということを思い起こさせてくれる男、それがJohn Caleなのだ。どの曲もシンプルなバンド編成とストリングスとの絡みで作られているが、物凄く絶妙なところで音が鳴っている、正真正銘の名作である。で、未発表曲1曲含むボートラ群も更にシンプルな音ながらも、不気味なくらいに過不足を感じさせない、恐ろしいクオリティである。たとえこれがアルバム本編になっていたとしても全然ありだろう、ということで、よくある「まあボートラだからしゃあないか」というがっかり感から200万光年離れた充実ぶりである。ああ、止められないんだ、こういうの・・・。ちなみにギターが良いよなあ、とかしみじみ思ってたらLowell Georgeが弾いているのだった。そりゃあ良いわけだ・・・。