csgb、次は3月19日(木)の予定、つまり祝日前です!
とりあえずゲストはmasayukiさん(ホナミちゃんじゃなくなったのか・・・)!あっという間ですが、よろしくお願いいたします!
AOBA NU NOISE @Hi-hat Sendai 2020年4月11日(土)(第一部)19:00~23:00 ADV.¥2500(+1D)DOOR.¥3500(+1D)
Live: Olololop、Contraire、Waikiki Champions、Masaki Saito
(第二部)23:00~ DOOR.¥2000(本編第一部参加の方は無料)
Live: ShiShi Yamazaki、こまどり社(獅子舞パフォーマンス)
DJs: Casin, SIF, EVOL, RYOTA, RAMBO
SHOP: 呑処 神
こちらも同日良い感じのイヴェントありますが、その一角を貴兄貴女の中で占めることができれば幸いです。よろしくお願いいたします!
9年、ねえ。あっという間に過ぎてしまった。あれから9年の間、震災のことは宮城県に住んでたら普通、忘れることなんかできないと思うのだけれども。ただ、これには個人差があるのかも知れない。忘れてそうな人々、何かに利用してやろうという人々、たくさんいそうな気もする。でも、それもそれとてその人の感じ方、なのだろう。まあ、何かに利用して儲けてやろう、とかいう人々がいたらば呪い殺されてしまえばよい、のだけれども。
個人的にこの9年間、震災とは関係なく失ったものはたくさんある。もの、人、と言った方が良いだろうか。父、祖母をはじめとする血のつながった親戚、血のつながっていない親戚、友人。それでは得たものは、というとなんだろうな・・・。高い血圧とも最近はおさらばしているし(まあ、そんなものは寧ろ得たくなかったものだ)、なんかあるのかな・・・。
こう考えると私の場合、身の回りには、育っていく、upwardなもの、というよりも下降していく、downwardなもの、近く失われていくであろうこと、の方が圧倒的に多いことに気づく。それは人生、と言うことだってできるのだけれども、そう考えると人生、ってある年齢になってくると、なかなかに精神的には辛いものだったりもするわけである。
でも、人生、そんなんだけだったらちょっと寂しい。そんな中で幸運なことに寂しさをあまり感じずにいられたりするのは、変わらずにいてくれる人、変わらずにあってくれるもの、とかのおかげなんだろうな。もしかしたらそれの第一のものは健康、とかそういうある種抽象的なものなのかも知れないけれど、それも含めて私には、色々ありがたい人やものなんかがなんとか残されているみたいだし、だからこうやって生きているのだな。
そしてこれからも生きていくのだな、とこの日だから、というわけでもないけど思うのであった。
音楽だってまだあってくれる。まだまだ楽しみたいものである。Massimo Carozziの「Night Shift」を聴く。
イタリアはボローニャの音楽家、というかサウンド・アーティスト、という紹介が似合う彼のアルバムである。インスタレーションや劇場、ドキュメンタリーとかの音とかを作る人でもあり、フィールド・レコーディング作品も何作品か出しているわけだが、このアルバムはちょっと趣が違う。Tortoiseの「TNT」
などを想起してしまうようなタイトなドラムにシンセやら電子音やらの硬派なトラックもあれば、必殺のフィールド・レコーディングもの、なんかビートの消えたLFOやDepeche Modeみたいなトラック、ギターも入った即興のようなトラック、と多種多様にエレクトロニクスを用いて、意外にヴァラエティ豊かで楽しめる。どれも実にかっちりと仕上がっているけれども同時に何だか、揺らぎのようなしなやかさも感じ取れて、冷たい音色、というよりは実に温かみのある音響作品に仕上がっている。こういうレコードに出会うと、まだまだ世の中色々あるよね、とその果てしなさに茫然とするけれども、同時に生きる気力にもなるわけ、だ。