Chorus Scene

白と黒、M~XLのサイズ展開ですよろしく!涼しくなってきましたが、まだまだTシャツ必要ですよね。貴兄貴女からのオーダー、お待ちしております!
 
まあなかなか歳を重ねてくると、昔は良かった、なんてことを1つや2つ、言いたくもなったりするのだけれども(そして実際そんなに良かったのか、と言えばそんなに良くなかったんじゃないかな、って後から客観的に考えて思うのだけれども)それは私に関しても他人事ではなく、ふとした何気ない時に、嗚呼昔はさ、なんて独り言を言いたくもなったりするので、ミッドライフ・クライシスとやらに知らず知らずのうちにやられっちまわないように、そういうことは意識的に避けなければならんな、と思うのであった。
 
そう、放っておくと甘いノスタルジーの罠に絡めとられがちになってしまう。ことコロナ禍のここ昨今、明らかにマスクだなんだ、という観点から行けば昔は良かった、となってしまうのは当然なので自分をハードに律して甘ったれてるんじゃないよ、と鼓舞して現世をサヴァイヴしていかなければいけないわけである。まあ、していかなければいけないんだけど、わかってるんだけど、まあ疲れることは疲れますわね。
 
という時にタイミング良いのか悪いのか『「FMステーション」とエアチェックの80年代』

という、元『FMステーション』編集部の方の回顧録的な本が文庫化されてしまったので読んでいた。これ、私の世代(まあちょいと早熟だったことは認めよう)だと、そうそう、と読めてしまうのだけれども、若い方々はどう読まれるのか、実に興味があるので皆さんに読んでいただきたい。大体FMラジオの番組表で放送される予定の曲が載っていて、それをカセットに録音するために色々雑誌でも工夫されていて、って言うかそもそもそんなFM放送の番組表をメインに据えた雑誌があったなんて、というのはちょっと世代が違うと、全く何を言っているのか、異次元の話なのかも知れないけれども確かにそういう時代があった、という貴重なドキュメント、でもある。80年代の半ばあたり、の話なのでなんなら文明開化以前の話、と捉えられてしまいそうではあるが。

 

でも、私個人の話はひとまず置いておいて、『FMステーション』という雑誌はその時代を鮮やかにがっちりとうまく切り取ったが故に、どうしても80年代、とは切っても切れない感じだったんだな、ということを読んで感じた。後発のFM雑誌故にうまいことやった、という感じやカセットに録音するリスナーのためのサーヴィス、など今ではなかなか知らないとピンと来ない感じのことを全力でやっていた雑誌だったのだな、ということを思う。トドメは表紙の鈴木英人のイラストであって、私は当時も今も大好きなのだけれども、やはりそこに一片のノスタルジーが介在することは否めない。当時のミスタードーナツのパッケージ、なんなら英語の教科書の表紙、その他店のポスターやら何やら、当時の「イケてる」感じに彼の絵はマッチし過ぎていた。それは全く悪いことではなく、一世を風靡した、ということなのである。だからこそどうしてもその時代と切り離せなくなってしまっているのだった。

 

まあ話が逸れてしまったが、本の内容としては『FMステーション』裏話、みたいなものがメインなので、当時を知る人はそうだったのか、と、また知らない方々にとってみれば、こういうことがある時代だったのね80年代って、みたいな感じで読めるから面白いだろうな、と思う。どうしても、なかなか現世とのリンクを探すのが難しいのが歯がゆいところではあるが、サクサク読めるうちに、世代によって色々な読み方ができるテクスト、としてかなり秀逸な気がしてきたのである意味カルチュラルスタディー的にも、歴史の考察的にも(固有名詞を拾って調べるだけでも、なんか時代の裏書ができそう)読めて良い本ではないか、と思い始めたからこれはある意味課題図書になりうる。

 

しかし私が熱く『FMステーション』に対峙していたのは今から37年から35年くらい前の話になってしまうわけで、そこらへんの音楽をいまだに熱く聴いている私としては数字が指し示すほど昔には思えない事柄なのだが、その当時の35年くらい前、とか考えると1950年、とかそこらへんの話になってしまってロックンロールが生まれる生まれない、とかいう時代の頃の話になってしまうわけで、20世紀というのは急激に色々発展した世紀だったのね、ということを改めて感じるわけである。

 

ところで『FMステーション』は1998年に廃刊だったらしいが、私は何年くらいまで読んでいたのだろうか。実は我が家では父が当時『FMファン』を購入しており、その後彼が『FMファン』と『FMステーション』の両方を購入するようになり、それから『FMステーション』一本化、という流れであった。だからめっちゃ私も84年からハードに利用していたものの、実は父の購入したものを活用していたのであった。

 

ラジオから曲を録音してカセットに保存、所謂エアチェック、というのはなかなか時間に余裕がないとできないもので、私も1987年に中学校に入学したらなんか時間がなくなってエアチェックからは遠ざかってしまったし、その頃には仙台に1985年に開店したタワーレコードのせいで、最早立派なヴァイナル・ジャンキーと化していたので87年の夏以降はあまり『FMステーション』をエアチェックに活用したり、じっくり読んだ記憶がない。最後にエアチェックした曲は多分Erasureの「Victim Of Love」

The Circus

The Circus

  • アーティスト:Erasure
  • Mute Records
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だった。いつもだったらすぐにいっぱいになってしまってどんどん増える一方だったエアチェック用の60分テープが、87年の4月くらいからスタートした1本はさっぱりいっぱいにならなくて、Erasureの同曲が60分テープA面の途中まで収録された状態で、それ以降は埋まらなかったんじゃないかな。

 

だからいつ父が『FMステーション』の購入を止めたのかはよく覚えてないのだけれども、高橋幸宏がクリスマスにおすすめのアルバム、として「今年はPrefab Sproutの「Jordan: The Comeback」があるや」

とか言って推していたのを記憶しているので、おそらく1990年いっぱいは買っていたのかな、と思う。しかしよくもまあ、色々覚えているものである私も。

 

Sarah Davachiの「Antiphonals」を聴く。

最近では女流ドローン作家と目される方々が花盛りであるが、そんな中でも代表格ともいえる彼女の新作である。メロトロンやらシンセにパイプオルガンやら弦楽器、更には声までも彼女自身が1人で担当して重ねられた音は、いきなり何も起きない、という感じでもなく抒情的なフレーズが導入して、その暖かさを保った音色のドローンに突入、という感じで実に、まあ何も起きない感じ、というのはおそらく大きいだろうけれどもかなり聴きやすく、すっと耳に身体に入ってくる感じで、優しい。とくにアクースティック・ギターに柔らかな音色の鍵盤が絡んで変容していく曲とか、あんまりこういう風に言うのもどうかとは思うのだが、夜に聴くと実にリラックスできるようなそういう手ざわりの音なので、彼女の作品は結構そういうノリが強いのだけれども、とっつきやすい柔らかなアルバム、である。こういうのを聴ける60分弱の時間は何とか1日の中で確保はしたいものだが、それもなかなか難しい昨今、貪るような勢いで針を落としてもすぐにすっと包み込んでくれるような、そういう稀有な作品。