とか、うあーと声が出てしまうくらいに厚いビニールジャケにレコード盤がひっついていて、まあ塩ビ焼けだったよね。AntonyとYokoさんのはまあそんなに音には影響ないっぽい感じだったけど、Infinitiは、うすーくだけれどもノイズ入ってしまってて、これは何だかやり場のない怒り系で非常に悔しく壁とか叩きたくなる感じであった。
結構硬いビニールジャケに入ってるととくにカラーとかピクチャーじゃなくても盤が塩ビ焼け起こしているものも見受けられて、Frictionの「Crazy Dream」
とかCassiberの「Beauty And The Beast」
とかもジャケのビニールカバーが硬い奴でぴったりしているためか、内袋に入ったレコードなのに若干焼けており、Cassiberはちょっとノイズがうすーく入る箇所が出てきてしまっていた。
こうなってくると我が家のレコード全部見てみないと落ち着かなくなるわけで結構この1週間、夜な夜なレコードのチェックに励んでいたのだが、まあ虚しいものである。なんで家に置いているだけで、こんな目に・・・、と世を儚んでしまいそうになっていた。
それでまた厄介なのが焼けているのに音に影響なかったり、あんまり焼けていないのにうすーくノイズ出たり、とか意外に様々なものがあって、「いやこれやばいだろ」と思ったKylie MInogueのピクチャー12インチとかDavid Bowieのピクチャー7インチシリーズとかは全然大丈夫で、そんなに塩ビ焼けしていないVideo Aventuresの10インチとか、なぜかちょっとノイズが出たり、とかもうなかなか難しい。ところで、Video Aventuresは何故か2枚あってそれも驚愕したが、それは保険のためだったのだろうか、やるな自分・・・。
以前はCDのディスクが腐って再生不可能になる事態、というのもあったが(我が家のThe Auteurs VS μ-Ziq
とか)、なんかいずれにせよ長く愛しているものの経年による劣化は空しいものである。こういうところから人は、諸行無常ということを知るのである。『平家物語』の冒頭に於いても、レコードの塩ビ焼け、とくにCassiberのB面についての言及があり、親鸞もおそらく浄土真宗を開いたきっかけは所有していたピクチャー盤が塩ビ焼けしたからなんだろうな、ということは容易に想像がつくわけで、要は鎌倉や室町の時代から、人々は塩ビ焼けと向きあって生きてきたわけである。
とよしなしごとを考えてしまうくらい結構やられたりもしたが、The Theの「Cold Spell Ahead」ピクチャーディスク
は厚いビニールカバーにくっつきまくってビニールの跡ついていたけれどもノイズは気にならず(というかそもそもが音質があまりよろしくない)ちょっと安心した・・・、という勢いでThe The祭が開催され、今日は「Infected」を聴いていた。
1986年のもともとはThe The名義では2枚目にあたる(今では最初のMatt Johnson名義のアルバム
がThe The名義になってしまったので3枚目か)アルバムである。私がThe Theという名前を認識したのはこのアルバムからなのだが、ちょっと小学6年生が悩みながら買うには、ジャケットが今でこそ再発で良い感じだが、オリジナルがこういうジャケで
UK初回限定もこんなん
だったので、まあ今では何ら抵抗ないけど、ちょっとまだまだ駆け出し時代には抵抗あったよね・・・。だからアルバムとしては89年の「Mind Bomb」
からまともに聴き始めたのだけれども、後追いで「Infected」を聴いてそのテンションにびっくりした記憶がある。インダストリアルなノリもある高速ハイテンションナンバーなタイトル曲で幕を開け、全8曲、あっという間に聴けるのはポップなメロディに、当時のエレポップ勢と一瞬近い感じもあるのだけれども明らかに背骨が違う強靭な音(元SwansのRoli Mosimannが手掛けているからか)で、まあ兎に角あっという間に興奮しながら聴けてしまうアルバムである。そんな中でAnna Dominoも参加してひと際洒落た雰囲気の「Heartland」が実は「イギリスはアメリカの51番目の州」と歌われる痛烈な批判の曲だったりして、まあ良くスタジオで練り込まれた強力な音に、時に政治的な、時に引いてしまうくらい激烈なラヴ(?)ソングだったり、という歌詞、で実に真摯なアルバムである。90年代半ば以降このままのテンションで駆け抜けるのはしんどかったのか、長いことリリースが(変則的なもの以外)なかった時期もあったけど、最近またちょこちょこと復活の兆しが(ライヴも含めて)あったりするのは実に嬉しい。