寒いし風は強いしでまったく、今年の冬は本当に堪える。
しかし金曜日の夜は、夕食のラーメン屋の豚バラご飯が、あれ、バター入ってる?って思うくらい脂キツくて閉口したが(冷静に考えりゃバラ肉だからな・・・)、懐かしい友人たちと大量に会えたしイヴェントも凄く楽しかった。Noel & Gallagherに関してもっと1曲1曲長く聴きたいのう、とか思ったりもしたのだが、とりあえずあのネタの目まぐるしさ感は半端なく楽しかった。Halfby高橋氏とも凄く沢山お話しできたし楽しかった。
そんな一夜から明けて土曜日は、流石に早朝にかけての痛飲が響いたのか、なんだか調子が上がらず朝食のために起きてまた寝て午後遅くに出かけて、突然何故かお汁粉食べて前野健太の、最早我慢比べ状態の3時間強のライヴ観て、本調子でないながらも突如出現していた新しい飲み屋で酒飲んで何品か食べて帰った。凄く美味しかった。今度本調子の時に本気出して行きたい。
とか暮らしてはいるが震災から11カ月、である。そんなに経ってしまった。あっという間だった。私程度の被害の人間ですらそう思うのだから、もっともっと信じられないくらい短く感じられる人々もたくさんいるはずである。もしくは本当に長く感じているか、のどちらかである。
震災を忘れない、というのはここ最近よく聞く言葉である。とくにこの街では。しかし忘れられる人間なぞいるのだろうか。いまだに地元の新聞ではトップには震災絡みのニュースがある。そもそも街並みを見ているだけで取り壊しやら修復やら今から手を付けるところもたくさんある。忘れることってできるのだろうか。
人間は忘却の生き物である。でも、これは忘れたふりはできるだろうけれども、忘れることはまだまだ誰も出来ないと思う。少なくともこの街で暮らしている限りは。百貨店には物がまた溢れ、飲食店は賑わい、人は街中にたくさん溢れているけれども、誰も忘れてはいないし、何か「いま」の状態に半信半疑なような気がするのだけれども、どうだろうか。
少なくとも私は半信半疑である。意外に普通にやっていることって脆く崩れ去る、ということがわかったからである。それで気楽になった、という不思議な心持ちがあったりするのだけれども、それでもいまだに、家にいても、職場にいても、街にいても、店にいても、飲んでても、食べてても、笑ってても、泣いてても、何かあるんじゃないか、って思ってしまう。
これは多分生きている間は続くのだろう。忘れない、という以前に染みついてしまったのだ。それは多分誰もが、と考えて私だけではない、と安心したいものなのだけれども。
King Kruleを聴く。まだ17歳というのが何より驚きであるが、まあ思えば昔から若いすごい人はいつの世にもいたかもしれないけれど自分がいい加減若くなくなってからこういうのに出会うとすげえなあ、と思うものである。今作はこの名義ではファーストに当たる5曲入りミニアルバムである。ギターをかき鳴らし歌う、というだけだったらもっと素直に行けたはずなのにそうもいかないのはこの時代なのか。基本は歌ありきのシンガーソングライターなのだが曲の構成は凝ってるし音作りも深あいところで蠢いているような、まあ皆が言いたくなるような、ダブステップ以降と言えなくもない感じの処理がなされているし、それどころかリズムマシンの響き具合とかもっと言えばダブっぽかったりもする。それでスマートにソウルフルにいくとJames Blakeみたいになるんだろうけど彼の場合はまだまだ、あたかもギターを抱えたプロテストシンガーのごとくにエッジが立っているからなんともそのバランスが危ういし、だからこそ面白い。彼の声は若い、というだけでは収まらないギザギザな感じで、歌う歌詞もどことなく不気味で閉塞感が漂う。でもBilly Braggが力を貸したという話もあるわけで、なんかこう、UK気骨系の新鋭として期待できないわけがないのだった。政治的、というわけではないけれどもサッチャニズムを背景に抱えながら色々歌を紡いでいた方々が多数存在していたあの時代の空気を感じる。加えて曲もシンプルなんだけど、さりげなく先述の通り凝った構成だからPrefab Sproutのファーストを一瞬思い出させらりたりするくらいなのだった。あと私の大好きなJamie Tの少し内省的になった弟、とか形容もできそうな。まあ、そういう他の音に関してのリファレンスはどうでも良い。多分このまま進んで行ったら凄く面白いから、アルバムが待ち遠しい。