In Quintessence

この間部屋を掃除しようと掃除機をかけていたら、異常に吸い込みが悪い。これはどういうことか、と思いカヴァーを外してみれば中の紙パックがぱんっぱんに膨れ上がっていたのだ。思えばこの間これを交換したのは多分1年以上前の話である。そりゃあ一杯になるわな、と思い洗面所の棚にある我が家の生活用品倉庫を探すもないので、これは買わなければ、と出かけたのであった。

我が家の掃除機は6年くらい前の無○良品のたて型の掃除機である。たて型はコンパクトに収まるし、意外に使いやすいので重宝しているのだが、大型家電量販店に行ったら紙パックコーナーは9割よこ型、大体1割がたて型、という押されまくっているシェア具合で、あららこんなことになっているのか、と驚いた。

結局そこでは果たして我が家の掃除機に適合するかどうか、イマイチ自信が持てなかったので近くにある○印良品の店舗で紙パックを探したのだが、ない。どこにもない。おやおや、と思い掃除機本体の近くにあるかと思って探せば、サイクロン式掃除機のみとな!?

そりゃー紙パックないわなあ、と思い店員さんに尋ねれば取り寄せになる、とのこと。しかも在庫がもう全国で10パックを切っている、とな!?

結局注文して事なきを得たのだが、何かこう、収まらぬ何かを感じる。多分ヴィデオがベータ方式だった方とかこのような思いを抱いたに違いないなあ、と思いつついる。はしごを外されてしまったような、そういう気分である。まあ、世の中の動き、時代の流れ、ということだからしょうがない、と割り切るのも1つの手だとは思うのだが、それにしてもまだまだ使える代物なのにその付属品がなくなりつつあったらそれは使えなくなる、というのは一体・・・?

まあね、紙パック10個入りだから、あと何年も大丈夫と言えば大丈夫であろう。でも・・・、世の中の移り変わりの速さにはちょっと置いておかれそうになったりする。以前から無印○品の商品のサイクルの速さはちょっとなー、とか思っていたのだが、ここに来てそれはほぼ確信に変わりつつある。それとも、いまだに昔のものを使えるから使えるから、とか言って使っている私の消費のサイクルの方がおかしいのだろうか。

しかし思えば携帯電話、PC、ipod。どれもが次から次へとどんどん新しくなっていく。そりゃあ新しい方が何かとスペック的にも良いのだろうけれども、でもまだまだ満足に使えるのに周りが許してくれなかったりする。おかしいなあ。テレビもわざわざ画面に「アナログ」とかご丁寧にも表示してくれるのだが、まだまだ使えるこのテレビも地デジとやらに対応するものに変えなければいけないのだよな。まだまだ満足に使えるのに。

でも日々生きていると目にするのがエコ、と言う言葉であって、もうどうやって生きるのがエコだか何だかちいともわからなくなってくる。エコな感じで生きろ、とか言われ続けても同じものが壊れるまで使うことすら許されない状況は一体何なんだろうか。

Squeezeの「East Side Story」とか81年リリースだからもうこんな、上記のようなサイクルの世の中では聴いていてはいけないのかも知れないな。しかも配信なんかじゃなくてCDだし。とは言え、先日素敵なライヴに行ったらこの中の「Tempted」が素敵にカヴァーされていたりすれば棚から引っ張り出して聴いてしまう。これは4枚目のアルバムでElvis CostelloDave Edmundsがプロデュース、という豪華布陣で制作されたアルバムである。Paul Carrackが参加した初のアルバムであり、ヴォーカルも披露しているが、やはりこのバンドと言えばChris DiffordとGlenn Tilbrookのソングライティングコンビに尽きる。このアルバムでも実に素直にしゃきしゃき進んでいくナンバーから、ちょっと落ち着くところに落ち着かないコードの捻りの効いた曲までどれも名曲揃いである。何かこう、聴いていて心が洗われるような、そういう素直におおお、と盛り上がれる気持ちを久々に思い出させてくれる、甘酸っぱくも、実はその陰には手練の技がビンビンに効いた傑作。ボーナストラックとしてシングル曲などが追加されているが、アルバムに何故入っていないのかどう考えても解せない名曲過ぎて舌を巻く。ちなみに私Squeezeを聴くと、何故かいつもCrowded HouseとかThe Beautiful Southが思い出されてしょうがないのだが、何故か。この何か青い(青く聴こえる)ヴォーカルと捻ったソングライティングのせいだろうか。