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またしてもご無沙汰してしまいました。何だか最近帰宅、食事、睡魔に襲われる、というサイクルが出来上がってしまい、更には昨夜は仕事〜帰宅〜焼き鳥「大吉」、という更なる終末に向うサイクルに突入してしまったので、そりゃ更新などできるわけもなく。

ということで今週は毎日でも更新したろか、とか思っているのですが、まあ頑張ります。クオリティはですね、相変わらずだと思うので、つまりグダグダであるかとは思うのですが・・・。何か最近日々思うことは色々あるのですが、日々頭の中更新してしまうので何だかPCの前に座ると、あれ、何だっけ、となってしまい老いとはこういうことなのか、と思う日々であります。

さて、そろそろ我が街ではやっとこさ桜が咲いているのである。別に桜を愛でてどうこう、というのは私は全くもってどうでも良くて、そんなに桜だから花見じゃ花見、とか盛り上がったりは決してしないのではあるが、まあ一応人間関係を円満に保つためにもちょっと松島の山の上の方まで行ってみた。

多分下界では大変なことになっていて桜を見るどころの騒ぎではないだろう、という同行者の提案で今回のような計画になったのであった。思えば昨年もふらりとたまたま松島の山の方に行ってみたら異常に桜が満開で、まあ人手も凄かったのだが、そんな飲めや歌えやノリではない環境だったのでまあ良いか、という経験があったもので今年もこうなったわけである。

で、今年は、確かに飲めや歌えや、ではなかった。人手はまあまあであったが、そんなに大変なことにはなっていなかった。何故そんなに大変なことになっていなかったか、と言えば肝心の桜がイマイチ咲いていなかったから、という凄いオチがついたのだけれども、まあ一応桜を見る、ということは一応果たせたから良かろう。その山にある何だか洒落たカフェで飲食することもできたし(しかしその後間もなくして猛烈に腹が減って大変なことになった。一般的なカフェのご飯では量が物足りない、つまりは最早身体がカフェ体質ではない、ということなのだろう。いや、いつカフェ体質だったのだ、と問われれば全く返す言葉がないのだけれども)。

でも毎度毎度この季節に思うのだけれども、外で花見ながら飲むよりも、絶対居酒屋で飲んだ方が良いと思うんだけれどもなあ。でもそういうこと言うとどうせ偏屈者で人非人みたいな扱いされるだろうから大きな声では言わないのだけれども、私はそちらの方を選ぶなあ(小声で)。

The Pains Of Being Pure At Heartのアルバムを聴く。このジャケ見ておや良いねー、となりレーベルがSlumberlandと気づいて脛に90年代のインディな傷持つ身としては居ても立ってもいられなくなり、低価格ということも相俟って思わず購入したのだが、思いっきりドンピシャな音過ぎて、これだから店頭で音源買うのはやめられない、と思わせられた1枚である。もうこれはですね、オルガン抜きのRocketshipファーストか、88年の「Isn't Anything」以前の、もっと言えば名シングル「You Made Me Realize」のB面のMy Bloody Valentineか、「Psychocandy」なThe Jesus And Mary Chainか、ファーストアルバムまでのThe Pastelsか、最初のシングル2枚のSlowdiveか、という音なのである。荒っぽいノイジーなギターと甘いメロディと男女混声ヴォーカルとバタバタとしたドラムスと、という何だか自分が20年くらい前にぐわーっという勢いで聴いていた音楽を、そのまんま(良い意味で)現代に甦らせてしまったような感じの音楽性である。よく最近、新時代のシューゲイザー云々、とかいう触れ込みでプッシュされる新しいバンドの音に全然ぴんとこなかった私としては、こういうそのシューゲイザー的音世界直前のような、そういうコロンブスの卵的なバンドが今存在する、ということが何故か無性に嬉しい。と書いていると嫌な老人の懐古モード炸裂で辟易されると思うのだけれども、単に懐古的だから良いなあ、というのではなくて曲が物凄く良いのできちんと聴けるのである。当時と同じ音だー、って喜ぶようなもんだったらそんなの昔のバンドだけ聴いていれば良いわけであって、このアルバムにはきちんと2009年に出た新しいアルバム、として必然性のある、新鮮な音楽が詰まっているように思うのだが。セカンドアルバムが出ても出なくても、若しくはガラリと方向転換して全然違うような音になっても全然構わない、今このアルバムがあるのだから、とかめっちゃくちゃ青臭いことを言いたくなったりする。久々に衝撃を受けた新人バンドである。