Rain Of Crystal Spires

前回のエントリの話に関係するようなしないような話であるが、突如曲がパッと頭の中に現れて、頭に張り付いて離れなくなることがある。

これが全くオリジナルな節だったらば、それこそ今頃音楽活動でもしている頃だろうと思うのだが、全部他人の曲なもんだから全然そういうことではない。しかしこの現れ方が実に不思議なもので、ちょっと頭を傾けた瞬間、煙草に火を点けた瞬間、仕事の間、車のドアを開けた瞬間、目をふと目の前のものから上に上げた瞬間、イスから立ち上がった瞬間、歩いている間、もう時と場所を選ばず現れてくるのである。

まるで恋する若い男の子が恋焦がれる相手のことが頭から離れなくて、と言う感じでもあるのだけれども、そういう場合は1人のことを熱烈に思うものであろう。それに対して私のこの状態は、入れ替わり立ち代わり色々な曲がメロディだけでなく音色とかも頭の中で突如再現されるわけであるから、気の多い男の子のそれ、と言うこともできるのかも知れないけれども、もっと何だか激烈で、もっと性質が悪い、と言えるかも知れない。

しかも一定の法則があるかと思いきやそうでもなく、共通点としては良くも悪くもインパクトの強いフレーズ、展開の部分だけがドンと頭の中に現れる、ということくらいである。The Missionの曲だったりThe CreaturesだったりThe Stoogesだったり細野晴臣だったり、別に最近聴いていた、というわけでもないのだけれども、ふと頭を傾けた瞬間に流れ出てきたのは最近は上記のような感じだったりする。

でも問題はふと、別に全然興味もないけれども最近お店の有線かなんかで聴いて、なんだこれ・・・、ひどい・・・、とか思った曲のフレーズまでもがたまに再現されたりするからあまり楽しくない経験をさせられたりもする。なんでゆ○グレンとか突如頭の中で鳴り始めるのか・・・。悔しい、実に悔しい。短い人生、そういう無駄なものに時間を割いている暇はない筈なのに、何故ゆずグ○ンを頭の中で鳴らさなければならないというのか。空しい。

でもThe Missionが突如頭の中で鳴り始めるよりは健康的なのかも知れないな、と思えたりするから余計に悔しい。そんな時には昨日突如頭に張り付いて離れなくなったFeltの「Forever Breathes The Lonely Word」を頭の中ヴァージョンではなく、本家本元のヴァージョンで聴いたりしよう。86年にCreationからリリースされたアルバムである。この時期は初期の名物ギターサウンド男、Maurice Deebankが抜け、レーベル移籍し、突如インストのアルバム出したり、とかいうバタバタの時期だったわけだが、それを経ての作品である。名手John A. Riversのプロデュースによりギターは異様なまでにキラキラに、そしてバンドの新たなトレードマークであるMartin Duffyのハモンドオルガンがガンガンに鳴り響き、開放的でアップテンポの曲が比較的多く並ぶ実に素晴らしいポップなアルバムである。え、Trash Can Sinatrasですか、的な勢いだったりするなあ、と思わず久々に聴いて思ったりした。しかし、胸を締め付けるような切ないメロディのナンバーはしっかりと健在で、それは音がダイナミックになった分より一層強烈に締め付けてくるわけである。で、Lawrenceのしゃべるような、呟くようなヴォーカルもメロディと時には寄り添いながら、しかしアルバム後半に行くともうメロディほとんど関係なくなってきたりしていて、実は後期Feltのセールスポイントが凄く洗練された形でしっかりと結実していたのはこのアルバムだったのかも知れない、と今振り返ってみて思うのだった。いや、どの時期も全部好きなんですけれども、多分彼等の歴史の中で最も華やかな1枚だと言える。