Signalling Through The Flames

明日はDamon And Naomiのライヴだ!その前に仕事だが!

しかし人生いろいろとは思うのだけれども、懸賞金をかけられて、それでも顔を変えてまで逃げ回る人生、って果たして生きている価値はあるのかなあ、とかふと最近の報道を見て思ったのだった。少なくとも私はそんな人生、ちょっと遠慮したいものである。

かと言って新聞に毎日、何時に誰に会ったとかどこに行ったとか、そういうことまで事細かに「首相動静」として載せられる人生というのも果たしてどうなのかな、とか思うのだった。少なくとも私はそんな人生も、ちょっと遠慮したいものである。

まあ好きで選んだ人生だと思うのだから関係ない人間が言うことでもないのだろうけれども、少なくとも私はそういう境遇に置かれることはやっぱり、ちょっと遠慮したいものである。

どちらかというと前者のような人生になってしまうことの方が簡単な気がするのだけれども、やっぱり全力で、ちょっと遠慮したいものである。良いことばかりでは全然ないけれども、意外に今の私の人生は、そういう事態に陥っていないだけ、まだ少しだけマシなのかも知れない。

ということでCindytalkの「The Crackle Of My Soul」を聴く。Cindytalk・・・。まさか80年代初頭、Breathlessとかと並んでニューウェーヴというか「ねねねネオサイケ」(仙台に昔あった名物レコード屋のコーナー仕切り板の名言)の雄として御なじみだった(否、どちらかというとマイナーだったか)のあのCindytalkの新作がEditions Megoからリリースされるとは世の中何があるかわからない。というかまだやっていた、というのが軽く衝撃である。とは言え音の方は全然違い、バンドサウンドではない。そしてThis Mortal Coilの諸作でも聴かれるGordon Sharpの美声も聴かれない。ここにあるのはノイジーな電子音の羅列である。静謐な電子音響ではなく、音の一つ一つのエッジの立ち方が半端ない。しかしそれでも全体としてノイズ、とかとは全く括れない不思議な感触の音である。ちなみにゴダールの『愛の世紀』からのサンプリングがあるようなのだが、当然ながら何が何だかわからず・・・(それ以前にあの映画自体もよくはわからなかったなあ)。まあMegoらしいと言えばMegoらしい音なのだけれども、叙情的な要素が全く見受けられずかなり荒涼としている。それでも何だか全編に渡って聴かれる接触不良音の連続が何だか心地よく感じられるから不思議だ。何かが時折迫ってくるような、そういうヒタヒタ感もちょっとあったりするのだけれども、ここまで徹底的に潔く無重力の空間を作り出されるとかなり痛快である。しかし最近家でこういうのばっかり聴いていて、車ではカントリーばっかり聴いている、とかなると果たして私は一体音楽に何を求めているのか自分でもわからなくなってくるのであった・・・。