Hair Of The Dog

気がつくと2009年も11月になっていたのだった。

ということは2009年も終わりつつある、ということでつまり2000年代の所謂「ゼロ年代」が終焉を迎えつつあるということなのである。多分色々な媒体では「ゼロ年代は云々かんぬん」という特集が見られつつある頃なのだろうけれども、そういう総括は好きな人にお任せすれば良いわけで、個人的には何とかストラグルして乗り切ったのう、くらいの感慨くらいしかない。

というか大体にして良い加減歳を取ってから迎えた年代であるから、たとえ生活が変わったにしてもさほど凄い変化だったのう、とかいう思いはないわけである。これが1990年から1999年、とかいう年代だったらば高校生から社会人一歩手前までを駆け抜けた年代だったりするわけで、何かいろいろ思うところはあるものなのだけれども、もう25歳からの年代、とか言われてもさほどがつーんという感慨はないものである。

でもまあ、それだけ穏やかに過ごせたということなのだろうな、と思う。いろいろあったことはあったのだが。次の「10年代」も平和に過ごしたいものであるし、さほど憎しみとか怒りとかは抱かずに生きていきたいものであるが、歳と共にそういうものはどんどん身近なものになってきているのでなかなか難しいことなのかも知れない。しかし次にこのように「10年代」を振り返る頃には私は45歳。生きているのだろうか。そしてどんなことを考えどんな風になっているのだろうか。

でも結局今Bauhausの「Mask」なぞを聴いている、ということはゼロ年代、90年代どころか80年代から変わっていなかったりするわけだからこのまんま、な気がする。この度CD3枚組みのなんだか壮絶なデラックスエディションがリリースされたので聴いている。81年のセカンドアルバムである。そして相も変わらず死ぬほど昂って聴いている。そもそもリアルタイムではないので(Peter Murphyのソロはなぜかリアルタイム)完全後追いなのだがここに収められたアイディアの豊富さには恐れ入る。ダブやらファンクやら色々取り込んでいるのだが、やってみましたよー!的な声高な感じではなくさりげなくアクセント的にエッセンスを拝借しているような、そういう上品な取り入れ方が際立つ。Daniel Ashのギターの切っ先鋭さには本当に痺れるのだが、それ以上にDavid Jの変幻自在なベースがこのアルバムの肝を成している。どの曲もベースが全てを引っ張るのである。それに追随するかのように前述のギターが切り込み、控えめながら意外に手数の多いKevin Haskinsのドラムスが控え、という感じなのでアンサンブルとしてはこの時期結構最早マックスの状態だったのではないだろうか。そしてPeter Murphyのシアトリカルな、とよく評されるヴォーカルがその上でのびのびと暴れまわる、という何だか文句のつけようがない状態である。勿論沈み込むような静けさが覆う曲もあれどシングル曲を筆頭にビートの効いたナンバーがとくに印象的である。レアトラックやデモヴァージョンなどを収めたディスク2も面白く、とくにグダグダな「Ziggy Stardust」などこれがあのド迫力のシングルの元になったのか、と不思議に感動させられる。シングルヴァージョンなども細かく入っているしこの時期の彼らの全体像を掴むには格好のディスクである。さらにディスク3には81年のライヴが収められていて、荒っぽくも鋭さを増した各曲のライヴヴァージョンには文句なしで降参だったりする。若干David Jのベースのチューニングが気になったりするのだが、バンドが一丸となって突き進んでいるその勢いは細かいこと言っている場合じゃないんじゃないか、という気にさせられるくらいに鳥肌が立つ格好良さである。写真やデータも詳しく資料的価値は勿論、読み物としても凄く面白いブックレットとか、地味に紙ジャケでアナログ盤を忠実に再現したジャケットとか結構、デラックスエディションはこうあるべき、という鑑のようなリリースだったりして泣ける。ということでゼロ年代だか何だか色々あるけれども結局何も変わらない勢いで感動、というか昔よりももっとずっと何倍も何倍も感動している私なのだった。多分死ぬまでこうなんだろうなあ、と容易に想像がつくのであった・・・。