Walk With Me

先日(19日)のイヴェントにお越しの皆さまありがとうございました!The Advantageの一糸乱れぬ重厚な演奏によるファミコン音楽は爆笑と感動と興奮でした。Killer Tittsはまさかのドラムス導入&ヴォイス入りでいきなりネクストレヴェルでしたし、久々の4人ワイキキは壮絶でした。ハプニングが似合う、頼もしいバンドだなあ、と感動。俵谷さんもバリトンギターみたいな音色と人懐っこさ全開で良かったなあ。DJ陣も面白いのいっぱい聴けたし、うん、良いイヴェントだったのではないか、と。

私のDJはなんかこう、なんなんでしょうね、あれは。自分が時間なくて最近聴けてなかった曲を聴きたかっただけなんじゃないか、と思いました。Drive Like JehuYank Crimeかっけー、とかArt Ensemble Of ChicagoLes Stances a Sophieさいこー、とかEP-4昭和大赦-リンガ・フランカ1間違いねー、とか単にそういうレヴェルだったな、っていつもだなそれは・・・。懲りずに今後もよろしくお願いいたしますぅ(←自分的に新感覚の表現を実験的に使用)。

まあそれはそれとして先日仙台近くの定義山を訪れた(注:ここで皆さまにお断りしておきますが、別に最近その近くに移転した中古レコード店に行ったわけではありません、というかわざわざ行きたくない)。久々に訪れたのだが霊場ということもあって重厚な空気と土産物屋が軒を連ねるユルい感じが同居しているところが何か好きなんだな、自分、と昔は何故か母方の親戚(ほぼ)一同と夏に毎年行っていた自分は思うのだった。

しかし気になることがある。車で走って行ったのだが、定義山近くで前を走っていた定義山観光いも煮会のバス(芋煮が何たるかご存じない方のために軽く一言ご説明申し上げますと、仙台山形の秋のキラー行事です)の後ろに貼ってあるステッカーが横書きで右から左に読む形になっていた。つまりどういうことかというと普通に(つまり左から右に)読むと「会煮もい光観山義定」となるのである。最初は何のことかわからなかったが、落ち着いて考えて、あなるほど、となった。あなるほど、とはなったもののどうしてそういうことになっているのかは謎である。別に車の進行方向を前にして読む、とかいうことは思いっきりバックに貼ってあるから関係ないわけだし、昔流行った、前を走っている車のミラーから見るとちゃんと見えるように鏡文字になっている、とかいうことも、まずやはりバックに貼ってあるわけだから関係ない。ということはアラブ系の表記(つまり右から左へ)のようにしようという運動のちょっとした現れなのか、はたまた古の横書き日本語表記(つまり右から左へ)に回帰しようのようにしようという運動のちょっとした現れなのか。

わからんのう、と思いつつ車を走らせているとやがていも煮会の会場が表われて、そこにはパーキングがあったのだがそこの表記を見て私は雷に撃たれたような衝撃を受けた。そこの看板には青をバックに白抜きで「p」ではなく「q」と書かれていたのだ!Parkingの頭文字だから「P」であるべきなのになぜ「Q」なのか。やはり定義山霊場であるだけあって、何か我々の知らないところで何かが蠢き、それがそこの人々の表記法に物凄く影響を及ぼしているに違いない。これがもしかしたらじわりじわりと知らないうちに広まって行って、近い将来日本語の表記法に大きな変化が起きるのか・・・。

と、妄想はとどまることを知らないのだが、Neil Youngの「Le Noise」を聴く。私は彼の音楽の良い聴き手ではないと思うのだけれども、このアルバムはDaniel Lanoisのプロデュースということでとても楽しみであった。で、実際何だか凄いアルバムになっているのだった。基本はNeil Youngのギター弾き語りなのである。まあまずそもそもギターも(エレクトリックギターであれアクースティックギターであれ)かなり改造されまくっているみたいなのだが、それをこれでもか、というぐらいに加工しまくった結果がこのアルバムなのである。まずは彼の曲が、最初は昔の彼の作品で聴いたことあるよなあ、という感じだったのに聴いているうちにじわりじわりとしみ込んでくる感じなところがポイントなのだが、Lanoisの執拗な加工で今までありそうでなかったような音楽になっているところが更なるポイントである。まず声もなんか違うし、ギターの音はうねりにうねって謎な音空間を作り出しているわけで、サイケデリックと言いたくもなったりする。でもその形容も何か違うし、どっちかと言うと非常に変な音のアルバムである、という形容がニートなのかも。多分Lanoisも変な音を狙ったんだろうな、とここでの異常な加工ぶりを聴くと思わざるを得ない。で、しかし、変、というだけで済ませられない凄みみたいなものが全体を覆っているわけで、実に厄介な傑作である。最初はLanoisのアルバムって感じだよなあ、とか思っていたのだがこの凄みはやはりYoungさんなしでは絶対に出ては来なかったものだろうなあ、と思わせられる結果に。キャリアが長いってのはそれだけで技みたいなものなのか・・・。ということでNeil Youngという男のなんだかでっかさを認識させられ、且つDaniel Lanoisという男がもう中田ヤスタカKing Tubbyか、という勢いのこともやる男なのだ、ということも認識させられたのだった。