Plastic Palace People

なんかイヴェント関連は白紙にも関わらず、告知を2発。

仙台市の中古CD店ラヴレコーズでは300円引きセールを開催中(終了日は未定)!もしそろそろ生きて行くのに音楽が必要になってきて、それでもって新しい音楽と出会わないと気が狂う、とかなっている方々(こんな状況でもこの街にはいるはずだと思う、というかいてほしい)や、ちょっと人とお話ししたいな、とかいう方々、癒しの空間(笑)ラヴレコへどうぞ!

経済を活性化させよう、とかそういうめんどくさい意図抜きでも、ちょっとよろしくです!

そして極私的な非営利告知も続行中↓

(申し訳ないですが私の携帯の番号やアドレスをご存じの直接の友人知人に向けての限定の告知になります。すみません。)
仙台市のはじっこ、仙石線陸前高砂駅東北本線岩切駅の間あたりの我が家ですが、もしよかったら水を汲みに来てもらったり、風呂に入りに来てもらいたい、と思いますガソリン不足のためお迎えにあがることはできないのですが、自力で来れる方には喜んで提供する準備ができているので是非遠慮なくご連絡ください!ガソリン入れ次第、送迎付きにしたいところです!

明日明後日は私は基本フリーなので是非!

ということで、何となくまた動き始めつつあるこの街ではある。しかし、私は何だかネットで津波の被害に遭った辺りの画像を集中して見てしまったからか、どことなくふさぎがちだったりする。しかも我が家の近所だったり、親戚の家の近くだったり、とかよく知っている場所の変わり果てた姿なものだから、何だかもう、意味がわからない、というかただただ唖然とするばかり、というか。

別に、こうした自然を前に人間は無力だ、とか自分には何もできないから、とかそういうことではない。そんな偉そうなことではない。ただただ、何なんだこれは、という思わず呆けてしまうような、そういう感覚である。そして、その場所に自分がいた時に見た風景の記憶がまるで昔のアルバムの写真のように蘇ってきて、それが今ネット上で見ている画像とは随分乖離してしまっているので、そのギャップに打ちのめされる、というか。

でも「希望でも持たないとやってられない」という謎の精神状態の私であるから、いずれまた、今のネット上で見ている画像とは異なる風景になっているこの場所に立つことができる日が来るだろう、と強く思っている。たとえそれが昔の自分の記憶の風景とは異なっていても、今のこんな風景とは違っていれば良いか、とも思っている。うん、そういうことだ。

相変わらずコステロ熱は下がらないが、Jim O'Rourke & Christoph Heemannの「Plastic Palace People Vol.1」を聴く。91年の録音なのか・・・。ということでGastr Del Solや「矢切の渡し」でお馴染みのJimさんと、H.N.A.S.とかMirrorでお馴染みのHeemannさんのコラボレーションである。これが徹底的にドローンな3曲、というハードコアな作品である。無音に近い静けさからスタートして徐々に、長い時間をかけてクレッシェンドしていくような、そういう展開が多い。Heemannさんお得意の無茶苦茶なカットアップ的なコラージュや、ほんわかしてしまうような空間の広がり感はなく、どちらかと言うとO'Rourkeさんの90年代半ばくらいの作品に近い感じを受ける。ただ、両者個々がイニシアティヴを取った作品と比べても、どこか思いつめたような、そういうシリアスな風情が強い。そしてクレッシェンドとは言うものの、途中でまた静寂が訪れたり、という展開で、全体として実に抑えた感じも強い。それ故に耳が引きつけられ、集中して聴いてしまうものである。元LoopのMainとか思いだしたりもするが、もっと「楽器」的な響きが耳に残り、且つ何だかひたひたと背後に寄り添っているような・・・。でも何故か、ちょっとした心のざわつきが穏やかになり、不思議とゆっくりとした気分になれる1枚。