Swing Low Sweet Chariot

AOBA NU NOISEのTシャツです!

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もうすぐ連休なので、楽し気なイヴェントの情報などが耳に入ってくるようになって、ふと自分はどうなのかな連休、と考えてみたらとくに何もなく、そして「~したい」ということよりも「~したくない」ということの方が、まあとくに連休の話に関係ないかも、だけれども圧倒的に多いということに気づいて愕然とした。えー、それって老いってことかしら、とか不安になったりもしたのだけれども・・・。

 

1日の中で「~したい」ということってどんなことがあるかな、と考えると仕事の日は、朝起きてからはひたすら何もなく、お昼近く、もしくはお昼過ぎに「お昼に〇〇を食べたい」というものが発生。その後もひたすら何もなく、夕方~夜になって「帰宅したい」「レコードを聴きたい」「晩御飯を食べたい」「酒が飲みたい」「寝たい」となって終了である、って、いやいや、それは皆そうであって、もっと長期的に見たら何かあるんじゃないの、と思って考えてみたら、いやとくに・・・、という結論になった。

 

一方で「~したくない」ということはもう朝の「起きたくない」から始まって数多の場面で発生しまくっていることは、こと平日に於いては言うまでもない。長期的に見てもなんか連休のこととか「したくないことをしない」ということしか思い浮かばない。しかし逆にそれが一番幸福なことなのではないか・・・?

 

ということで基本的にしたくないことをしないで、しなきゃないことはして、したいこと都度して過ごそうと思う。となると大体本読んでレコード聴いて部屋片づけてご飯作って、ということになるのだが、なんか結局世の中「したい」ことでいっぱいの人と「したくない」ことでいっぱいの、2種類の人間がいるのだよ、ということなのであった。

 

非常にpassiveかも知れないが、生きているので幸福を希求したいところである。Diamanda Galasの「You Must Be Certain Of The Devil」を聴き、幸福を追求する。

You Must Be Certain of Devil

You Must Be Certain of Devil

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1988年リリースの5枚目、兄弟がエイズで亡くなったことに端を発する、所謂「エイズ3部作」の最後を飾るアルバムである。5オクターヴとも言われる圧倒的なヴォイスをメロディを歌い上げる方向とは真逆の方向に振り切り、まるでノイジーな楽器のように扱うことによって切り開いてきた道の、ある意味完成を見たアルバムでもある。トラッドもオリジナルも壮絶な絶叫とインダストリアルっぽいバッキングで全て塗りつぶした世界ながらも、不思議と今聴くとソウルフルにも聴こえ、その後「歌」を聴かせる作品を今に至るまで(まあ、かなり極端な形ではあったとしても)出し続けているのも納得、である。とは言え、まあ、かなり聴くのにガッツを必要とされる音楽であることは間違いないので、今日この作品をエンジョイできているから自分は大丈夫だ、というある意味バロメーターのような作品でもある。45回転のLPを大昔に買って持っていたが、エイズ3部作コンピCDをヴァンクーバーのヴァージンメガストアで購入して売却、しかしアナログで欲しくなって先日買いなおし、という自分でもどうかしていると思う道をたどって今聴いているのであった。