Boing Boom Tschak

我が街にも雪が降り、冬だのうと実感する今日この頃であるが年末である。

年末、と言えばいつも頭が痛いのが年賀状である。今までこのご時世にプリントゴッコでがしがし作って、もう良い加減年明けるんじゃないか、というタイミングまでひいこらひいこら宛名書いていたりしたものである。個人的には年賀状送ったりしなかったら崩れてしまうような人間関係なぞ崩れてしまえ、という強硬姿勢を貫くスタンスなのであるが、社会というのは個人の思いだけではどうにもならないものなので毎年毎年苦しみつつ書いていたものである。

勿論上記強硬姿勢は単に面倒くさい、ということが全ての発端になっていることは火を見るよりも明らかであろうが、まあ、そういうスタンスだったわけである。しかし今年は違う。なぜなら我が家にプリンターが導入されたのである。これでもう裏も表もばしばし印刷して大量生産が可能になったのである。さあ来い。どんと来い年賀状。もう今年は100枚くらい出しても良いな、という気持ちになってくるから人間、文明の発達によって影響されない者などいないのである、ということを痛感させられる。

しかしこれでかなり労力が省けるのだが、こんな風に大量生産状態にしてまで年賀状って意味あるもんなんだろうか。勿論手書きのメッセージも添えようとは思っているのだが、なんか良いのかな、これで、という思いが頭をもたげてくるから私という人間も実に面倒くさいものである。せっかく出すのだから心はこもっているが一方でそれは大量生産の一部だったりするわけで、現代社会に於ける人間らしさとは、ということに関して再考を余儀なくさせられる日々である。

そう、そんな世の中だからか最近はKraftwerkを鬼聴きしている。リマスターされて8作品まとめたボックス(年末だからね)The Catalogueを入手してしまったので順々に聴いているのだが、今日は「Techno Pop」がキている、自分の中で。86年リリースの「Electric Cafe」が改題されて今回のタイトルになっているのだが、順々に「Autobahn」から聴いてくるとこの作品の強度、というものが異色に思えるのだなあ。Fred MaherやらRon St. GermainFrancois Kevorkianとかがエンジニアで絡んでいてかなりニューヨーク色が濃いところも影響しているのかも知れないのだが、ビートが強まり、そしてそれまであった楽観的な感じと悲観的な感じのバランスがかなりニュートラルになり、まさにマンマシーンとして存在することになったKraftwerkの姿がある。何か物凄く冷静な感じ、というか冷たい感じ、というかそういう印象が大変強い。この後91年のリミックスアルバムまで長く沈黙し、その後も10年以上沈黙を続けたことを考えるとこのアルバム、実はKraftwerkの作品の中でも何かを終わらせてしまったアルバムなのかも知れないな、という気が今振り返ってみるとするのだが。ちなみに当時のハウスミュージックの勃興をいち早く取り入れた曲もあったりして、結構意外なビートの割り切りのよさが今でも格好良い。