Oblivious

AOBA NU NOISEのTシャツです。

aobanun

なんか今日3月30日にcsgbやるとか聞いてた気がしてたけど、何にも連絡がその後ないし告知もなかったので、ないのですね。なんだかな。

 

Aztec Cameraの「Walk Out To The Winter」

という名曲がある。その中に"Faces of Strummer that fell from your wall"という歌詞があって、よく「ジョー・ストラマーのポスターは壁から剥がれ落ち」とか訳されているのを見る。

 

まあパンク以降の気分をThe ClashJoe Strummerのポスターが剥がれることで上手く表した、とかよく評される歌詞なわけで、なるほど確かに、とか思うけどこれは思っている以上に激烈なことで、なんせ"faces" of Strummerなわけである。

 

複数形、ということは単にThe Clashの、もしくはJoe Strummerの、単体のポスターとかそういうわけではなく雑誌の切り抜きやら何やら、そういったものがべたべたと部屋に貼られていたのに、それ「ら」が多分「全て」剥がれ落ちる状態、なわけである。

 

考えてみると、雑誌の切り抜きやら何やらでJoe Strummerの顔の写真をべたべたと貼る状態、というのはかなりの熱狂、心酔、という状況が窺える。それが剥がれちゃう、と歌っているわけだから、それは明らかにパンク(The Clash、もしくはJoe Strummer)への猛烈な度合の熱狂の時期が過ぎてマジで何もなくなった、という状態がいかに重いものか、それから冬へと歩き出して冷気が目を覚ます、とか言っているのがどれだけ悲痛な思いがこもっているのだろうか、と今さらながら思い至って、あの軽快な曲調とRoddy Frameの若々しく明るい歌声からこちらが受け取る印象よりはかなりヘヴィなものがあるんじゃないのかなあ、と感じたのであった。

 

って何で急にそんなこと思ったか、というと11年くらい我が部屋のターンテーブルの後ろの壁に貼っていたDavid Bowieの「The Next Day」

がリリースされた時のポスターが剥がれてしまって、真っ白な壁が広がっている状態になってしまって、ふとそんなこと歌っていたRoddy Frameのことを思い出したから、である。

 

別にDavid Bowieのポスターが剥がれてしまったことにはなんら象徴的な意味もないし、なんならついこないだもDavid Bowie聴いていたくらいなのだが、Roddyさんの方には意外に私たちが思っていた以上にもっと強い思いがありそうだな、と原詩にあたって思ったのであった。

 

で久々に2013年再発の7インチつきのAztec Camera「High Land, Hard Rain」の再発を聴いていたのだが、Roddy Frameの若さゆえの才気走った感じが爆発した曲が多いアルバム、だがしかしそれをさらっと聞かせてしまう、という才能も感じられる凄いアルバムだな、と唸ったのであった。Aztec Cameraのアルバム、としてはもっと他の作品の方に私は全体としては好きなものがあるのだが、このアルバムを名盤たらしめている凄さ、というものも気づいていたつもりではあったけれども、2024年の今、再確認したのであった。