Go On

今これを書いているのは日曜日の穏やかな昼過ぎ、自宅に於いてなのだがお隣さんがハードに口論中で何だかいたたまれない。

私の日頃の自宅内での定位置、というのはお隣さん(ちなみにメゾネットタイプである、お隣は)のお茶の間と壁一枚を隔てた場所である。大体音楽聴いてるからそんなに気になったりもしないものであるが、今日はその音楽を凌駕する勢いで男女の声が聞こえてきて、いやどうしよかなあ、という感じである。どうしようもないのだけれども・・・。

しかし今回の一件でわかったことがあって、意外に室内の声は我がアパートの場合隣に聞こえやすい、ということである。我が部屋のお茶の間の隣は玄関を隔てて反対側のお隣さんと隣り合っているのだが、その玄関のおかげでまずいろいろと聞こえてはいないと思う。ちなみに昨夜はスカパーの「桜ソング特集」とかいうPV番組を見ながら、夫婦揃ってその内容を罵倒し、罵詈雑言を飛び交わせていたのだがそれはまあ聞こえてはいない、だろう、と思う。聞こえていないと良いなあ、と思う。この間は酔っぱらってギターウルフの特番見ながらロキンロール、とか言ってたからな・・・。

とはいえ、別に一軒家に住みたいな、とか引っ越したいな、という風には別に思わないのである。なんせ全ては仮の住まいではないか、この現生に於いては。ほら『方丈記』でも言われている通りに。別にとくに不満などないし。あ、CDの収納に関してはこれは最早住居とかそういう問題を超えた、どちらかというともっと深遠な、宇宙とつながる問題だから(と話題を逸らす)。

しかしまだお隣さんでは喧嘩が続いているのだが、これは逆に言えばお隣夫婦の若さを見せつけられているようで、はあこちらも歳をとったものよのう、という感じであるが、その声をかき消すためにもBasia Bulatの「Heart Of My Own」を聴こう。カナダ出身の彼女のRough Tradeからのセカンドアルバムである。ファーストOh, My Darlingもよく聴いたが今作はそれを上回る傑作である。相変わらずプロデュースはGodspeed You! Black Emperor絡みの人なのだが、そういう情報は全くここの音とは関係ないように思える。奇を衒ったところの全くない、フォークロック、と言えばフォークロックなわけである。でもよくありがちな展開に陥らず、何だかドラムスがばっしばっし言ってどかーと盛り上がる場面が多く用意されている、実にダイナミックな作品である。彼女の声も良いから穏やかな展開だけでもアリと言えばアリなのだが、そうせずに何だか民謡的、というか音頭的な盛り上がりがあるのが新鮮なのだなあ。ロック的、というよりはもっと人間の根源的な血が騒ぐ系、というか。話が大きくなりすぎたが、その盛り上がりは、この哀愁漂いまくりのメロディによって増幅されている。もうよくもここまで、というくらい切ない泣きメロのオンパレードである。何だか毎曲胸掻き毟らされまくりで、胸が痛い。しかも彼女の声もよく伸びて軽やかで、全くもたれない、というこういう音でありそうでなかった1枚。今年前半は女性ヴォーカルもの大当りしまくりだなあ。