Prelude

AOBA NU NOISEのTシャツです。

aobanun

 

私はとある検定試験の面接官をバイトでやっている。レコードが高騰し続ける昨今、それはそれは大変ありがたいがそれなりに大変な仕事ではあって、大いに削られることは削られるのだけれども、仕事っつーものはそういうものだろう、と割り切ってやっている。

 

しかし12年くらいやってきていて、ここ最近どんどんどんどん注意事項が増えてきているのである。それはコロナのこととかは関係なく、回を追うごとに増えてきていてなかなかに驚かせられる。

 

最近増えてきているのは、え、それやったら面接試験成立しなくないですか、という注意事項で、にわかには信じられないのだけれどもそういう注意事項が追加される、ということはそういう事例が日本のどこかでは起きていた、ということの現れでもあるので、まああった、んだろうなあ。

 

いやいや、信じらんないなあ、と思いながらいたけれどもその日1日、他の面接官の様子とか見てたら、なんかあまりにもひどい行動の面接官のおばちゃんとかいたりして、まあ注意事項増え続ける必要性、あるかもなあ、という気になってしまったりした。

 

最近コンプラという言葉をよく聞くし、それにまつわる色々に関する議論というのもあって、まあ明らかに昔より何事にも注意事項が増えている気はする。こないだまで、それって世の中の世知辛さとかギスギスの現れだよな、とかなんとなく思っていたけれども、まあたしかにそういう側面もあるだろうけれども、案外私たちが劣化していて、昔回っていたことが回んなくなってきている、ということもあるのかもなぁ、信じたくないけれども、と残念ながらふと思わせられたりしたのだった。

 

私?私はまあ、何とか色々回せていると良いのだけれども。Nicoの「The Marble Index」を聴いている。

Marble Index

Marble Index

  • アーティスト:Nico
  • Atlantic
Amazon

また再発されると聞いて久々に聴いている。と言うか知らぬうちに結構何度も出てて、今日本で流通しているCDの内容も見たら、なんか無茶苦茶なボートラ(このアルバムと時期が全然違う極初期の曲)が入っていたりして、なんだかな、何も気合いが感じられんな、とか思わせられたりした(あのオールデイズ・レコードってレーベル、なんかイマイチ乗り切れないな)。それはさておき。1968年リリースのソロセカンドアルバムである。実質的にはJohn Caleがプロデューサーだったらしいが、彼女(と周囲)のドラッグずっぱまり期、且つイメチェン(アーティスティックに見てもらいたい云々)期、と色々が混然一体となった挙句、あらぬ方向に大バーストして「ポップじゃない=アーティスティック」という定義だったらまさに、というアルバムになってしまった。とにかく彼女の弾くハーモニウムとかJohn Caleヴィオラとかがぶつかったり離れたりして、彼女の暗い美声が伸びやかに虚空に響き渡る「元祖ゴス」とみなされるのも頷ける、中世ヨーロッパのマドリガル的な、いつの時代のどこの音楽かわからないものが完成していてそれはそれは素晴らしくタイムレスなアルバムになっているのだった。そして全体的に彼女の声を中心に据えて、シンプルなアレンジに聴こえるのに、かなりの加工がされていて、ある意味サイケ的な側面もあって、何度聴いても毎回毎回盛り上がってしまうのであった(車で聴きまくっていたり)。

 

余談だが車でこのアルバム聴いていて、ひとしきり盛り上がりながら帰宅して、この間Ideologic OrganからリリースされたJessika Kenney & Eyvind Kangの「Azure」

Azure

Azure

Amazon

をアナログで家で聴いていたら、あれ、さっき車で聴いていたNicoを家でも聴いてるんだっけ?とバグってしまうくらい似た感じの響きの音楽で大いに驚いた。確かにヴォイスとヴィオラのアルバムではあるけれども、時代も国も超え過ぎたアルバムの証、と言えるかも知れない。