In Performance

AOBA NU NOISEのTシャツです。

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昨夜寝ている時、ふと目が覚めて、嗚呼これは来る、来るぞ、と思ったらその予感は的中してふくらはぎのこむら返りがやってきた。夜就寝中にこちらの目を覚まさせてからやってくるこのこむら返り、不気味としか言いようがないのだが、たまにある。

 

これは歳を取ってきたからかなあ、とかまだ痛む足をさすりながら思うのだが、私の人生に於ける最も古いこむら返りの記憶、それは思えば中学校1年生の頃、実家のベッドの上でThe Cureの「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」

Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me

Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me

  • アーティスト:Cure
  • Polydor
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のB面(アナログは2枚組なのだが)の後半聴いている時に突如ふくらはぎの痛みに襲われ、ベッドの上でぐええ、と悶えていたら鼻血が出た、という壮絶なものがあるのでThe Cureとこむら返りと鼻血、というものがセットで私の中に37年前に刻まれたのであった。

 

となるとまあ結構長いことお付き合いしているものである。色々と原因はあるのだろうけれども、思い当たるフシとしては今週の肉体的な疲労によるものであろう。好きでもない楽曲をドラムで演奏しなければならない、という非常に度し難く辛い任務が今週にはあったのだ。それに向けて詞も含めて好きでもないし寧ろ憎むべき、怒りしかこちらに覚えさせないような楽曲(なんとか800とか)をひたすら隙を突いて聴き、ドラムパターンを耳で覚え、それを演奏すらままならない悲惨なギターとベースと合わせて、否、合わせるどころではなく、寧ろ合わせてしまったら楽曲が崩壊する、という危機的な状況の中で私だけは間違えるわけにはいかない、というぎりぎりの状態の中で、孤立無援という言葉が相応しいパフォーマンスをする羽目になったのだった。

 

精神的なものもそうだったが、物理的に急ごしらえでやらなければならないので身体にしわ寄せが来て、それがこむら返りという形になって表れてきたのであろう。許せないことである。しかし人間として生きていると許せないことにも耐性をつけて対峙していかなければならないわけで、身近なこういうことにも対処していかなければならない。

 

いかなければならないのである。しかし、世界中で起きている不条理なことにもなんとか耐性をつけて対処していかなければいけない、ということは頭ではわかってはいるのだけれども、どうにも無茶苦茶すぎることばっかり目にするし耳にする。ウクライナでもロシアでもガザでも、一体どうなっているのだ人間は、ということばっかりで、そして性質は違うが日本の与党のありようなど、普通に生きるだけでも怒りのやりどころも大変なことばっかりである。

 

でも生きているからには何とかやっていかないといけないわけである。Joe Jonesの「In Performance」聴いたりしながら斗うのである。

In Performance [Analog]

In Performance [Analog]

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フルクサスの自動演奏楽器奏者が1977年にリリースした音源の再発盤である。長いことブートレッグで聴いていたのだが、数年前に正規再発されたものを急に入手して聴いている。もう1枚そういやブートあるな、我が家。太陽光なども利用して自動で演奏される打楽器弦楽器鍵盤楽器などが、ずーっとごうごうなっているモーターのような音の上で出たり入ったり時に激しく時に美しく鳴り響き、ある種儀式的な荘厳さまで感じさせるようなパフォーマンスである。とくにグロッケンシュピールの連打のパートなどスリリングで、一歩引いて考えてみれば所謂「雑音」の轟音アンサンブルなのにも関わらず、めちゃくちゃ感動させられるし、興奮する。その一方やたら瞑想的な時間も訪れ、人間としての在り方を見つめなおす際のBGMにも最適、なのか。ただブートにすら付属していた小野洋子さんのライナーが今回の正規再発の際にはオミットされてしまったのが残念。