Hymnal

3月23日はyumboが東京に行く、ので私も東京に行く、ということになります。

yumbo / Marker Starling & Dorothea Paas  
2024年3月23日(土)@7th Floor(渋谷)
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV ¥4800 / DOOR ¥5300 (+¥600 ドリンク代)

私は演奏はいたしませんが、お知らせです!

 

そして多分3月末にはcsgbが久々にあって、DJする機会がある、と思います。

お楽しみに!

 

AOBA NU NOISEのTシャツです。

aobanun

 

我が職場の近くの、優秀な町中華屋さんが昨年閉店した。ある時車で夜、店の前を通りかかったら長蛇の列ができていて、そりゃあ昼には人気のあるお店だけどなんかおかしいぞ、と調べたらその日が最終営業日だった、というわけである。

 

閉店前にあの店のあの味をもう一度、ということは私も実際思うには思うのだけれども、なんか天邪鬼な性格が邪魔をして素直にそういう行動に出ることができない。さらに悪いことには性格も悪いので、急に並んでまでさあ、とか言い出したくなってしまうくらいになるので、なお一層そういうことができなくなってしまった。本当はその店、その味を命果てるまで味わいたい、とか心の中では思っているのだけれども、ってなんかThe Smithsの「The Boy With The Thorn In His Side」みたいな話になってきたな。

 

しかしそのお店が閉店してしまった、ということには、そのお店の味がなくなってしまう、ということに加えて私の場合、もう一つ重要な意味があって、それは13年前の3月11日に食べていたお店がなくなってしまった、ということである。毎年この時期にそこで食事をして生きている意味をかみしめる、なんて大っぴらに言うことでもないけれどもひっそりとそういうことをやっていたのだが、今年からそういうことができなくなってしまった。もっとも昨年の3月11日には渋谷の街を歩いていたりしたし、なんなら母の付き添いで病院にいた年もあったのでなにも3月11日ズバリその日、というわけではなかったけれども、まあこの日が近づくころにはその店でホイコーロー定食とか食べていた、ものである。

 

13年という時間の中では、その間に色々なものが生まれたり、消えたりした。それを見たり経験したりすることができた、ということはその日以降も生きることができていた、ということと同義なのだが、そのことを忘れずに生きることは私の場合、多分ここまでしてきたと思う。まー世の中めちゃくちゃなことだらけだけれども、それでも生きてきたからには、何とかしなくちゃね、色々。

 

というか仙台にずーっと住んでて、あの震災のこと忘れられたりするなんて、それってかなり奇特な人だと思うから、そんなに大きな声で言うものでもないのだけれども、ね。

 

Julian Lageの「Speak To Me」とか聴いていた。

Speak To Me [12 inch Analog]

Speak To Me [12 inch Analog]

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好調なペースでリリースを続ける、所謂ジャズギタリストの新作、である。そもそもジャズギターというものがイマイチ私はどんなものかわかっていないような気もするのだが、もしMarc RibotとかBill Frisellとか彼のギターのある側面がジャズギターならば、それはかなり私は大好き、ということになる。なんとプロデュースがJoe Henry、というなかなか憎い人選での新作は、ブルーズな感じや、カントリーな感じ、アップテンポでギラっとしたエレキの音が際立つ感じや、アクースティックギターでリリカルな感じ、と意外にヴァラエティ豊か、である。Joe Henryのせいもあってかどことなくアメリカーナ、という言葉も頭をよぎり。そしてゴスペルっぽいフィーリングが濃厚なのだが、いつものトリオのメンバーにゲストも入れて、全体として引き締まった演奏、そしていつも中心にはJulianのギターがある、という構成がビシっとしていて大変に、かっこいい。これまでのアルバムでは一番「Love Hurts

Love Hurts [Analog]

Love Hurts [Analog]

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が近いように思うが、今作では全曲彼のオリジナル、ということでちゃんとこの「Love Hurts」、そしてそれ以降のアルバムを自身のものとして取り込んで成長を遂げている様が見れて、実に頼もしい。今年のベストアルバムの1枚には確実になるであろう作品。

 

 

One Day At A Time

3月23日はyumboが東京に行く、ので私も東京に行く、ということになります。

yumbo / Marker Starling & Dorothea Paas  
2024年3月23日(土)@7th Floor(渋谷)
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV ¥4800 / DOOR ¥5300 (+¥600 ドリンク代)

私は演奏はいたしませんが、お知らせです!

 

そして多分3月末にはcsgbが久々にあって、DJする機会がある、と思います。

久々にやるんじゃないか、という流れになっております。詳細は後日!ただ、実はこの私が最近あんまりレコード買ってない(あくまで昔と比べて)し、買っても全然フロアに流せないようなものばかり、という感じなのですがどうなることやらお楽しみに!

 

AOBA NU NOISEのTシャツです。

aobanun

 

いやいやあったかいねー、とか言ってたら、クッソさむ、とか言って震える日々の繰り返しをしていたらもう3月だった。3月は日本ではいわゆる年度末なので、膨大なくだらない書類の提出(本当に何の意味もないのに出さなきゃないような職場のもの)、別れの準備、出会いの準備、ということで一番憂鬱な時期である。私のように憂鬱を抱えながら過ごしているような人は他にもいると思うのだけれども、私は花粉症がそれほどひどくないのでまだ何とかやっていけるようなものである。これ、花粉症ひどかったら私の場合、何らかの犯罪に走るか失踪するか、とかになったりしてしまうと思うので、とりあえず現状維持で頑張ってもらいたい、私の花粉の許容量には。

そう、憂鬱、である。ネットを見れば世界中の本当に許せないひどいニュースとくだらないニュース、テレビを見ればひどいニュースとくだらない番組、これには世の中のあらゆるメディアが憂鬱製造マシーンと化し私に襲い掛かってきている、と簡単に錯覚させられてもおかしくない昨今なわけである。でもそんな中最強の憂鬱製造マシーン、というか製造所である職場には毎日通っているのよね、これが。

 

しかしまあ、さすがに四半世紀くらいこの憂鬱製造所の中にいると自衛策、防御策もだんだんと身についてくるわけで、私の場合のその自衛策はなんとカレンダー、である。

 

予定とかを記録するのは私の場合、早々と紙に見切りをつけて(紙の手帳は結局まともに使えなかった人生だった)、iPhoneのカレンダーなのだが日付を確認したりするのは職場のデスクのカレンダー、である。こいつらに少なくとも色々アゲていってもらわないと困る、ということで2つある私のデスクの一つにはコウペンちゃんのカレンダー

が置いてある。

 

そのコウペンちゃんに肯定されてから執務用のデスクに移動すると、今度は坂崎千春さんのカレンダーで日付やスケジュールを確認する。

というのは毎年若干の違いはあれど(コウペンちゃんは3年目)、毎年毎年繰り返していることである。

 

そういった2つの癒しのカレンダーに加えて、今年からはそれにもう一つ、日めくりジャズカレンダー

があるので、新しい日になるにつれ1枚ページをはがす、という作業が入ってきている。

 

いやね、日めくりとかするかね、とかそんなにジャズに明るくないし、とかそもそもカレンダー足りてるし、とかちょっと逡巡した日々も去年の年末にはあったけれども、泣く子も黙るカンパニー社がその日に録音されたジャズのレコードの解説を掲載した日めくりカレンダー、なんてそれは面白いだろ、と踏み切って買って、これが意外に本当に今年使って良かったものナンバーワン、である暫定的に。

 

だから憂鬱製造所に来て、コウペンちゃんでアゲ→坂崎さんのペンギンや猫でアゲ→ジャズ日めくりカレンダーを破っては、うおこのAlfred Harthのレコード欲しいな、とかこのMisha Mengelbergのレコード見たことないな、とかこのレコードにはBernard Vite入ってるのか、とか解説を読んでアゲ、という3ステップでもってやっと憂鬱製造所でも正気を保って生きている日々、である。

 

だから毎年、となると録音の日付で作っている限り大変だろうけれども、できれば永続的に毎年お願いしたいものである、日めくりジャズカレンダー。でないと憂鬱に飲み込まれてしまう・・・(いや、コウペンちゃんをもっとじっくり愛でれば良いのか)!

 

Samantha Urbaniの「Showing Up」は昨年からよく聴いているアルバムである。

ミニアルバムが出ていたのはもうだいぶ前だよなあ(2017年か)、とこのアルバムが出るまですっかりその存在も忘れかけていたのだが、Blood Orangeのアルバム

Cupid Deluxe

Cupid Deluxe

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での客演でもおなじみの彼女の、ファーストソロフルアルバムである。もともとやってたバンドとかは寡聞にして未聴、であるが件の2017年のアルバムでもここまでやるのか!とびっくりした80年代マナーのギラっとしたダンス路線(Madonnaの「Into The Groove」のような)はここでも継承され、さらにはJam & Lewisみたいなハネるファンクトラックとか、ような80年代半ば~後半にアメリカのダンスチャートに連続ランクインしていてもおかしくないような、そういう感じのきらびやかな曲が目白押し、である。でもそれがパロディでもなく説得力を持っているのは、かなり練られたポップなメロディに彼女のパワフルなヴォーカルがあるから、であり、なんだかやはりキャリアがあるってこういうことなのよね、と思わざるを得ないどっしりとした仕上がりで、信頼できるなあ。でもやっぱりどうしても個人的にはこの音の感じ、これにはどうしても抗えない。血肉になっているのかしら、ねえ・・・。

 

Prelude

AOBA NU NOISEのTシャツです。

aobanun

 

私はとある検定試験の面接官をバイトでやっている。レコードが高騰し続ける昨今、それはそれは大変ありがたいがそれなりに大変な仕事ではあって、大いに削られることは削られるのだけれども、仕事っつーものはそういうものだろう、と割り切ってやっている。

 

しかし12年くらいやってきていて、ここ最近どんどんどんどん注意事項が増えてきているのである。それはコロナのこととかは関係なく、回を追うごとに増えてきていてなかなかに驚かせられる。

 

最近増えてきているのは、え、それやったら面接試験成立しなくないですか、という注意事項で、にわかには信じられないのだけれどもそういう注意事項が追加される、ということはそういう事例が日本のどこかでは起きていた、ということの現れでもあるので、まああった、んだろうなあ。

 

いやいや、信じらんないなあ、と思いながらいたけれどもその日1日、他の面接官の様子とか見てたら、なんかあまりにもひどい行動の面接官のおばちゃんとかいたりして、まあ注意事項増え続ける必要性、あるかもなあ、という気になってしまったりした。

 

最近コンプラという言葉をよく聞くし、それにまつわる色々に関する議論というのもあって、まあ明らかに昔より何事にも注意事項が増えている気はする。こないだまで、それって世の中の世知辛さとかギスギスの現れだよな、とかなんとなく思っていたけれども、まあたしかにそういう側面もあるだろうけれども、案外私たちが劣化していて、昔回っていたことが回んなくなってきている、ということもあるのかもなぁ、信じたくないけれども、と残念ながらふと思わせられたりしたのだった。

 

私?私はまあ、何とか色々回せていると良いのだけれども。Nicoの「The Marble Index」を聴いている。

Marble Index

Marble Index

  • アーティスト:Nico
  • Atlantic
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また再発されると聞いて久々に聴いている。と言うか知らぬうちに結構何度も出てて、今日本で流通しているCDの内容も見たら、なんか無茶苦茶なボートラ(このアルバムと時期が全然違う極初期の曲)が入っていたりして、なんだかな、何も気合いが感じられんな、とか思わせられたりした(あのオールデイズ・レコードってレーベル、なんかイマイチ乗り切れないな)。それはさておき。1968年リリースのソロセカンドアルバムである。実質的にはJohn Caleがプロデューサーだったらしいが、彼女(と周囲)のドラッグずっぱまり期、且つイメチェン(アーティスティックに見てもらいたい云々)期、と色々が混然一体となった挙句、あらぬ方向に大バーストして「ポップじゃない=アーティスティック」という定義だったらまさに、というアルバムになってしまった。とにかく彼女の弾くハーモニウムとかJohn Caleヴィオラとかがぶつかったり離れたりして、彼女の暗い美声が伸びやかに虚空に響き渡る「元祖ゴス」とみなされるのも頷ける、中世ヨーロッパのマドリガル的な、いつの時代のどこの音楽かわからないものが完成していてそれはそれは素晴らしくタイムレスなアルバムになっているのだった。そして全体的に彼女の声を中心に据えて、シンプルなアレンジに聴こえるのに、かなりの加工がされていて、ある意味サイケ的な側面もあって、何度聴いても毎回毎回盛り上がってしまうのであった(車で聴きまくっていたり)。

 

余談だが車でこのアルバム聴いていて、ひとしきり盛り上がりながら帰宅して、この間Ideologic OrganからリリースされたJessika Kenney & Eyvind Kangの「Azure」

Azure

Azure

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をアナログで家で聴いていたら、あれ、さっき車で聴いていたNicoを家でも聴いてるんだっけ?とバグってしまうくらい似た感じの響きの音楽で大いに驚いた。確かにヴォイスとヴィオラのアルバムではあるけれども、時代も国も超え過ぎたアルバムの証、と言えるかも知れない。

 

 

In Performance

AOBA NU NOISEのTシャツです。

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昨夜寝ている時、ふと目が覚めて、嗚呼これは来る、来るぞ、と思ったらその予感は的中してふくらはぎのこむら返りがやってきた。夜就寝中にこちらの目を覚まさせてからやってくるこのこむら返り、不気味としか言いようがないのだが、たまにある。

 

これは歳を取ってきたからかなあ、とかまだ痛む足をさすりながら思うのだが、私の人生に於ける最も古いこむら返りの記憶、それは思えば中学校1年生の頃、実家のベッドの上でThe Cureの「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」

Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me

Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me

  • アーティスト:Cure
  • Polydor
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のB面(アナログは2枚組なのだが)の後半聴いている時に突如ふくらはぎの痛みに襲われ、ベッドの上でぐええ、と悶えていたら鼻血が出た、という壮絶なものがあるのでThe Cureとこむら返りと鼻血、というものがセットで私の中に37年前に刻まれたのであった。

 

となるとまあ結構長いことお付き合いしているものである。色々と原因はあるのだろうけれども、思い当たるフシとしては今週の肉体的な疲労によるものであろう。好きでもない楽曲をドラムで演奏しなければならない、という非常に度し難く辛い任務が今週にはあったのだ。それに向けて詞も含めて好きでもないし寧ろ憎むべき、怒りしかこちらに覚えさせないような楽曲(なんとか800とか)をひたすら隙を突いて聴き、ドラムパターンを耳で覚え、それを演奏すらままならない悲惨なギターとベースと合わせて、否、合わせるどころではなく、寧ろ合わせてしまったら楽曲が崩壊する、という危機的な状況の中で私だけは間違えるわけにはいかない、というぎりぎりの状態の中で、孤立無援という言葉が相応しいパフォーマンスをする羽目になったのだった。

 

精神的なものもそうだったが、物理的に急ごしらえでやらなければならないので身体にしわ寄せが来て、それがこむら返りという形になって表れてきたのであろう。許せないことである。しかし人間として生きていると許せないことにも耐性をつけて対峙していかなければならないわけで、身近なこういうことにも対処していかなければならない。

 

いかなければならないのである。しかし、世界中で起きている不条理なことにもなんとか耐性をつけて対処していかなければいけない、ということは頭ではわかってはいるのだけれども、どうにも無茶苦茶すぎることばっかり目にするし耳にする。ウクライナでもロシアでもガザでも、一体どうなっているのだ人間は、ということばっかりで、そして性質は違うが日本の与党のありようなど、普通に生きるだけでも怒りのやりどころも大変なことばっかりである。

 

でも生きているからには何とかやっていかないといけないわけである。Joe Jonesの「In Performance」聴いたりしながら斗うのである。

In Performance [Analog]

In Performance [Analog]

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フルクサスの自動演奏楽器奏者が1977年にリリースした音源の再発盤である。長いことブートレッグで聴いていたのだが、数年前に正規再発されたものを急に入手して聴いている。もう1枚そういやブートあるな、我が家。太陽光なども利用して自動で演奏される打楽器弦楽器鍵盤楽器などが、ずーっとごうごうなっているモーターのような音の上で出たり入ったり時に激しく時に美しく鳴り響き、ある種儀式的な荘厳さまで感じさせるようなパフォーマンスである。とくにグロッケンシュピールの連打のパートなどスリリングで、一歩引いて考えてみれば所謂「雑音」の轟音アンサンブルなのにも関わらず、めちゃくちゃ感動させられるし、興奮する。その一方やたら瞑想的な時間も訪れ、人間としての在り方を見つめなおす際のBGMにも最適、なのか。ただブートにすら付属していた小野洋子さんのライナーが今回の正規再発の際にはオミットされてしまったのが残念。

Redemption Arc

AOBA NU NOISEのTシャツです!

aobanun

よろしくです。

 

そういえば今更の話だけれども、「シティ・ポップ」とかいう言葉を聞くと、1982、3年くらいに「好きで聴いているのはシティ・ポップかな」と言っていた、私の一回り年上のいとこのことを思い出す。

 

なんでこんなこと思い出したか、というと「シティ・ポップという言葉は海外で生まれたもので~」とかいうネットでの物言いを見て、いやいや、当時日本で言ってる人いたよ、うちのいとこだけど、となったからである。まあ、当時のシティ・ポップという言葉と21世紀に入ってからのシティ・ポップ、という言葉が指している音楽は若干違うかも知れないけれども、当時関東の大学に進学し、急にパーマかけたりして明らかに仙台時代とは異なる風貌となったいとこから、シティ・ポップ、という言葉が出てきて、その言葉が指していた音楽以上に「あらー、○○ちゃん、東京(とうぎょう)さ行ってあがぬげだごだー」という感じに我が家でなっていたことも、ついでに思い出すのであった。

 

そのいとこからは84年とか5年くらいに、角松敏生とか山下達郎とか大沢誉志幸とかを借りてカセットにダビングした記憶があるけれども、結局大沢誉志幸が一番ガツンと来たこともついでに思い出した。どうやらやっぱり、当時から「シティ・ポップ」とやらとはあまり縁がなかったようである。

 

どっちかというと私は「カントリー・ロック」とかの方が・・・。そしてKaty Kirbyの「Blue Raspberry」とかの方が好きだな。

 

Blue Raspberry [Analog]

Blue Raspberry [Analog]

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前作

Cool Dry Place -Coloured- [Analog]

Cool Dry Place -Coloured- [Analog]

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から3年ぶりのセカンドアルバムである。結構話題になったファーストも私は好きでったが、どことなくなんか方向性がわからんな、という気持ちだったものである。で、ここに来てのセカンドはいきなりもう今年のベストに入るんじゃないですか、というくらいの粒ぞろいの楽曲と、アクースティックギターに、ストリングスやピアノやホーン、時に乾いたバンドサウンド、時にシンセ、と結構生音を中心にしてふくよかな音作りになり、それでも結局何よりも彼女のヴォーカルがしっかりとフィーチャーされたどっしりとしたアルバムになっていて、実に頼もしい。とくに奇抜なところはないけれども、マジで何度も聴き直したくなる名作になっている。歌詞がまた、基本的には、彼女がまず自分がクィアなんじゃないか、と目覚めるあたりからの恋愛、破局、恋愛、という内容になっていて、大胆かつ豊かなイマジネーションに富んだ比喩表現と共に歌われるので、久々に歌詞カードをじっくりと読み込んでしまった、リーディンググラス(まあ老眼鏡ね)をかけながら。女性ヴォーカルの比較的シンプルなバッキングのシンガーソングライターのアルバム、というのも世には星の数ほどあって、本当に聴くか聴かないかはたまたま出会うか出会わないか、ぐらいの違いでしかないかも知れないけど、この拙ブログを読んでしまった方はこの作品のことを見聞きしてしまったわけなので、間違いなく聴いた方が良いアルバムである。ちなみにジャケもクィアらしさを表現したらしくて、インパクトあるなー。

Sugar Daddy

AOBA NU NOISEのTシャツです!

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よろしくです。

 

さて、先週土曜日はAOBA NU NOISEにお越しの皆さま、大変ありがとうございました!

 

ふたを開けてみればDJに関してはCall and ResponseレーベルボスのIan Martinさんと、急遽代役で登場したMenchan以外、Ryotaさんと私たちEVOLというおなじみのメンツ、ライヴはWaikiki Champions以外は1人ユニットばかり、という考えてみれば実に通常進行のAOBA NU NOISE的なフツーの、けれどもすごく濃い内容のリリースパーティだったのですが、たくさんのお客さんのご来場をいただき、個人的には18年くらいやってきてて1、2を争うくらいの楽しさでした。実は結構毎回楽しいんですが、Waikiki Championsのリリースパーティ、というのもあって無駄に感極まった瞬間が、あったなあ・・・。

 

とは言え内容はセンチメントとは無縁な刺激に溢れていて、めちゃくちゃ本当に皆さん面白くて、7時間があっという間でした。ちなみにそんな中で私たちEVOLは40分間×2セットの悪ノリ祭りだったので、皆さん本当に申し訳ない、というくらいに楽しくレコードかけ倒してました。今回は珍しく私たちのその様子の動画とかがSNSにアップされていて、それを見るとDerek BaileyのTシャツを着た白髪交じりの成人男子が無邪気に、そして楽しそうにHappy Mondays「Tokoloshe Man」で体を揺らしていて、あらあら微笑ましいこと、と思ったのだがそれは自分だったというね・・・。

 

ところでそのAOBA NU NOISEでは中学校の同級生、駄菓子屋「よしぎの」がおでんの出店をしていて、それはそれは美味しかったのだけれども思えば昔、20代とかの頃はおでんってそんなにテンションの上がる食べ物ではなかったように思う。

 

それはもしかしたら実家にいた頃はおでんという食べ物がそんなにピンと来るものではなかった、ということに起因するのか、もしくはそれ以降自分ががんもどきとかさつま揚げとか厚揚げが本当に大好きだ、と気づいたからなのか知らないが、ここ15年以上は「おでん=ブチ上がる食べ物」になっていることは確かだ。

 

そして家以外でも、おでん屋に行く、という予定があれば遠足の前の日の子供みたいに眠れない、というのはオーヴァーだけれどもそれに近い勢いでわくわくするし、実際行けばセロトニンが出まくって「幸福」という二文字を頭に浮かべながら熱々のおでんを食べたりする昨今である、夏でも冬でも。これはおでんの美味しさに気づくのが遅かった男が今までを取り戻す勢いでおでんを愛でているのだろうか。

 

とか思うのだけれども、お好みの具でおでんを食べたりする場合、大根選んだり玉子を選んだり、は全然していないことに今気づいた。だから、もしかしたら所謂スタンダードなおでんが好き、というよりか自分の好きな食材がおでんのような味、煮込みまくった出汁が浸みまくった味に調理された状態とかに激しく反応し始めた、ということなのだろうか。

 

そしてそれってもしかして歳を取った、ということなのかしら、とか思い始めたけれどもそれはうやむやにしたい。おでんが好きです、ということで丸く収めたい。ちなみに私の今まで経験した中でのフェイヴァリットおでんの具は、豆もやし、豆腐、厚揚げ、がんもどき、トマト、油麩、里芋、である。ちょっとなんか、オルタナティヴ路線、なのかも知れないここに於いても。

 

どうやらおでんに於いてもオルタナティヴ志向の私はLaikaの「Silver Apples Of The Moon」を聴いていた。

Silver Apples of the Moon

Silver Apples of the Moon

  • アーティスト:Laika
  • Too Pure /vital Dist
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意外な場所にある意外なお店で、マジでひょんなことからアナログを入手して久々に聴いている。再発なのだけれども出ているの知らなかったし、なんなら今やレア化しているようである再発ですら。元Moonshake(もっと遡れば元God Is My Co-Pilotだとか)のMargaret FiedlerとMy Bloody ValentineやらUltra Vivid SceneやらAir Miamiやら手掛けた作品は枚挙にいとまがないGuy Fixsenによるユニットの1994年のファーストアルバムである。何でも2人してやりたいことをやりまくったアルバムらしく(Margaret嬢は気に入っていないらしいが)、当時でも何だか突き抜けて変な音響の掴み所のないアルバムであった。そして今回久々に聴いて驚いたのだがその掴み所のないわけわからなさには、「○○みたいな」というリファレンスをことごとく拒むような気合いが感じられて、そういうぶっちぎりの不思議な音楽なのであった。「ポスト・ロック」という言葉は彼らを形容するために誕生したという説もある、そういう音である。ただとにかくベースがデカい。ここだけはリファレンスとしてPILとかを想起はするのだけれども、あとはジャジーな展開があっても結果的にそういう印象ではないし、ブレイクビーツっぽさとか、なんならトリップホップとかとも言われているみたいだけれども、そのどれともやっぱり違う、不思議な、今聴いても「新しい」1枚。色々な音が目まぐるしく出たり入ったりするサンプリングの狂気を感じられるけれども破綻していないのは、曲の構成がしっかりとMargaret嬢のウィスパー気味のヴォーカルでまとめられて統一感があるからだろうか。ぶっちぎりで90年代半ばに不思議バンドの宝庫だったToo Pureレーベルの真髄を感じられる名作である。このあと更に3枚アルバムを出していたけれども最後のアルバムから20年、どうしているのかしら。

 

 

Passage Through The Spheres

バードランドでは初開催になるAOBA NU NOISEの詳細です!ちなみにわたしたちEVOLは早い時間、16時30分からとワイキキ終わってからの時間にもぶちかましますので、乾杯したいです!

AOBA NU NOISE

2024年2月3日(土)16:00~ @Sendai Birdland

Adv: 3000 yen +1D(600yen)Door: 3500 yen+1D(600yen)

チケット予約: sendaibirdland@gmail.com

Live: Waikiki Champions, IllJaponia(Taigen Kawabe from Bo Ningen), 食品まつりaka Foodman, ARAKAWA ATSUSHI, King Rambo Sound, Masaki Saito

DJ:  EVOL, Ian Martin(Call And Response), Shibuta, Menchan, Ryota

アルバム

街 -MACHI- [CAR-32]

街 -MACHI- [CAR-32]

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リリースしたWaikiki Championsのリリパ、です。おわかりのとおり、かなりの盛沢山なメンツです!また、Asaiくんが出られなくなってしまって残念だったのですが、急遽強力助っ人めんちゃんが登場!ということでぜひ皆様ご来場お待ちしております。予約等お待ちしております。

 

で、そんなAOBA NU NOISEのTシャツです!

aobanun

兎に角明日、色々よろしくです。

 

今週は1年で多分最もハードな週だったのだが、ひいひい言って乗り越えていたらもう2月になっていた。早い。多分今年もこんな感じで12月になっていることであろう。ただ、1月からなんだかヘヴィなことばっかりで、無事に1年乗り切りたいものだなあ、と言う思いを強くしている。

 

ところで私は本を読んだり、映画を観たり、絵を見たり、なんなら数少ない番組にはなるけれどテレビを観たりすることも大好きである。大好きなんだけど、例えば何かがあって読めなかったり観れなかったり見れなかったり観れなかったりしても、まあいっか、で済ませられる程度、である。

 

だからそう考えると、物事に対してなんか狂おしいほどの欲求、そういうものがあんまりないと言えるのだろうか。それは例えばあの店のあれが食べたい、となって行ってみたら定休日、とかえっらい行列、とかになっていたら、まあ他を当たるか、となってしまうからそんなにこだわりないし、洋服だって、これ素敵だな、となって、でも縁がなくて手に入らなくても、まあしょうがないよね、となってしまうから、何かに対して狂おしいほどの情熱、ってのがあんまりないのかもな、と思ったりしたのだった。

 

ところがそういうスタンスで接したいのだけれども、ヤフオクで競れば、うおおおおてめえぶっ○す、みたいな勢いで入札してしまうし、限定盤が各所で売り切れてれば世の果てまでも、みたいな勢いで探してしまう、なんとしても手に入れてやる、みたいになってしまうのはレコードだけ、もしくは私を狂気の淵へと追いやるのはレコードだけ、とも言えるのか。なんでだろな。その暴れ馬のような衝動をどう飼いならしていくのか。それが今年のテーマかな、とか思ったけれども気づくと物心ついて以来ずっとそうだったかもな・・・。

 

なんでだろな。Kali Maloneの「All Life Long」を聴いている。

All Life Long

All Life Long

  • Ideologic Organ
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Sunn O)))のStephen O'Malleyといつの間にか結婚していたスウェーデンアメリカ人の彼女の、2020年から2023年の作品集である。自身の作品のみならず、主宰しているXKatedralレーベルからも快調にドローン道を突っ走る快作をリリースし続け、本当にここ最近絶好調であるが今作は聖歌隊、パイプオルガン、ブラスクインテットのための作品集で前作

に比べるとよりヴァラエティ豊かで、反復と持続音の組み合わせから何だか温もりのある、それでいて荘厳な音世界が立ち上がってきてまたしても傑作である。聖歌隊のための作品が清冽であるが、久々のパイプオルガン作品と言えば名ドローン作品「The Sacrificial Code」

Sacrificial Code [Analog]

Sacrificial Code [Analog]

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を思い出しもするけれども、あの冷徹なまでの感じとは違う穏やかな空気感もまた面白い。というかこんなに集中力を要求される音楽なのに同時に気楽にターンテーブルに乗っけたくなるような親しみやすさがあって、なんでだろな。