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テレビを見ていると、インタヴューだったり、記者会見だったりの場面に出くわすことが多い。

で、最近それらをぼーっと見ていると、何とも居心地の悪い気分にさせられたりするわけである。はてこの違和感、というか居心地の悪さは一体どこから来るのだろうか。スポーツ選手の引退会見であれ、マイクを向けられた一般人のコメントであれ。

それは多分、何か知らないが皆「イイこと」言ってやろう、的気合いがビンビンだからではないだろうか。言い換えれば「感動させたろ」的気合い、と言うか。何だか「テレビで放映されている状態の自分」「新聞に載っている状態の自分」をハナっから想定して話しているような、変にサーヴィス精神旺盛な、そういう感じを受ける。

スポーツ選手もいつからか「皆に感動を与えたい」とかそういうこと平気な顔してぬけぬけと言うような風潮になってしまっているがまあ良いとして、何で普通にロックフェスに来ている一般の人までもが、「イイこと」言ってやろう、的な勢いになってしまっているのか。しかもそういう時に限って変な言葉遣いになっていたりするから、その違和感たるやかなりのものがある。

メディアが高度に発達した今の世の中ならではの現象なのだろうか。でも気にならない人には全く気にならない事柄であろう。ただ、私個人としては、何か空恐ろしい感じがざわざわするのであった。

まあ、要は疲れて帰って来てテレビ見てる時にそういうのに出くわすと、猛烈に萎えるからウザイ、というそれだけのことなのだけれども。でも「感動」と言う言葉や概念が安売りされまくった結果、こういう風に変に浸透してしまっているのだとしたらちょっと、だなあ。

でもこちとらこういうネット上でぶつぶつ言ってるだけだから余計に性質が悪いかもね、と半ば開き直りながらLunaの「Lunapark」を突然聴く。Galaxie 500解散から約1年後の1992年にリリースされたファーストアルバムである。元GalaxieのDeanとThe ChillsとThe Feeliesのメンバー、というのはそれだけでも食指が動くものであるが、Fred Maherプロデュースのこのアルバムは、これから始まる新しいバンド、という瑞々しさが溢れている。歌詞の面ではGalaxie 500の他の2人に対してのあてつけがあったり、とかいう話であるが、音の面ではかっちりとギター主体の骨組みのしっかりしたバンド、という印象である。またメロディが、凄くポップで且つ泣きポイントも押さえていて駄曲ゼロ、のアルバムでもある。これ以後もメンバーチェンジを繰り返して、またレーベル移籍を繰り返して活動していった彼等であるが、実はこういう瑞々しくてかっちりシャキシャキしたアルバムってこれ1枚きりかも知れない。勿論これ以降の6枚も凄く良いアルバムだらけなのだけれども、こうしてみるとこのアルバムは貴重な時期をうまく切り取った作品なのかも知れない。蛇足ながら私はサードPenthouseが一番好きだったりするが、その魅力はここで聴ける音の魅力とは、また若干異質のものなのだった。