Oh How We Fell

日曜日のAOBA NU NOISEにお越しの皆さま、ありがとうございました!トップバッターでDJをしたのですがちょっと自分的には不完全燃焼だったかなあ、という気が。もっと色々かけたかったのですが、それはまた来月のお楽しみ、ということにしておきます。runnystoolsはシシノブ先生ドラムにシビれ、mojaはさすがの轟音、BO NINGENも毎回毎回どんどんANNレギュラー化する勢いで、ライヴもそれぞれ良かったです。しかし、-W-のライヴを見たかったのですが、最近もう夜は眠い。酒が入るとさらに眠い。そして次の日仕事、という最低な感じで帰ってしまい見逃して残念です。歳かなー、そろそろ、とかあるいは仕事辞めてえな、おい、とか色々思うところあるんですが、今後もDJ業は頑張ります!

ところでこの間コンタクトレンズを着用しようと洗っていたら割れた。私はハードレンズを使用しているからこういう事故が起きるのである。朝っぱらから軽く絶望しながら、その日のうちに新しいものを作ろう、と思い以前コンタクトを作る際に行った眼科を目指したら、なくなっていた。

で、軽く絶望しながらその眼科跡地の隣のコンタクトレンズ屋に入って、移転先、というか新しい場所を教えてもらってそこに行けば行ったでやたらめったら待たされ、挙句の果てに問診票に1日のコンタクト使用時間を12時間、と書いていたら「長すぎる」と医者に怒られ、更にはレンズができるまで(即日渡しと書いてありながら)3日かかる、と言われ、何かこう、その日のうちに世界滅んじまえば良いのに、と思うくらい荒んだ心持ちになった。

最近悪い、というか不快なことが起きるとちょっとすぐ機嫌悪くなりがちである。で、何故か不思議と小出しに悪いことって連続して起こるものなのでその機嫌がなかなか治らないまま長いこと過ごす羽目になる。これはなかなか、不快な出来事がトリガーになっているとは言え、その後の長期間の不機嫌状態、というのがまた不快で、という無限ループが続きがちである。となると日々の大半を不機嫌に過ごすことになり、ひいては人生の大半を不機嫌に過ごす、ということになる。そのことを考えると更に塞ぐ、というか不機嫌になり、というループがマジ終わらない。これはもう病気なのか。

要はあまりめんどくさく色々考えたり、まあこういうこともあるわな、という感じでやり過ごせればよいのだけれどもどうにもループまっただ中だからあまりさらっとも流せない。まあ、人間機嫌良くいなければならない、ということも別にないし、明るく過ごさなければならない、ということも別にない。このままでも良いのかな、という発想の転換をして行くのしかないのだろうな。サヴァイヴする、ってのはそういうことなのだろう。

だからMatt Elliottの「The Broken Man」を聴く。この間Yann Tiersenの新作Skylineを聴いていたのだけれどもそちらにも参加していたMattさんのソロ名義でのアルバムである。Yann Tiersenのスタジオでレコーディング、ということで関係が密だなあ。一昨年にはまさかのThe Third Eye Foundation名義での復活The Dark、で非常に感動させてくれたけれども(来日公演、行きたかった・・・)このソロ名義でのうたものアルバムも同様に感動させてくれる作品になっている。「○○ Songs」3部作Failed Songsが圧倒的だったけれども、この作品でも基本的にメランコリックでダークな世界、という点では何ら変わりはない。ただ、ソロ名義の前作「Howling Songs」が後ろで狂ったようにハウリング、というかノイズが大暴れしていたこととかを考えると大分シンプルにすっきりとしている。しかしそれ故に、よりこちらに切り込んでくるような、そういう痛いくらいの哀しさがこの音楽にはある。東欧風の哀愁漂うメロディは更に際立って、そしてピアノインプロヴィゼーションを元にした曲もあったり、新しい展開の始まりを感じさせてくれる作品である。大分繊細な感じが際立ってはいるものの、やはりとんでもない強度を兼ね添えたアルバムなのでやっぱり聴くのに気合いは必要である。でもその気合いに応えてくれる作品であることには間違いない。ところでやはり彼のうたもの音楽を聴くと、Leonard Cohenの「愛と憎しみの歌」愛と憎しみの歌(紙ジャケット仕様)を続けて聴きたくなるのだなあ。