Foni Tu Argile

日頃一応これでも周囲に気を使って生きている私である。

とくに家庭内に於いては結構気を使っている方だと思う。とくに意識はしなくても同居人がいるときには何らかの形で気を使っているように思う。それは別に苦になるわけでもないし、別に苦痛だ、というわけでもなく、ごくごく自然に気を使って不愉快な思いをさせないようにしているように思う。

でも、それはとても普通のことだと思う。だって、我が家に限らず、この世の中人は1人で生きているわけではないから絶えず他人のことを気にしなければならないと思うのである。好きなようにやる、周囲は関係ない、それは確かに大いに結構である。しかし周囲に迷惑をかけてまで自分の好きなようにやる、それほどまでしなければならないことは果たしてどのくらいあるのだろうか、一体この世の中に?

とは言え、そんな私でも猛烈な衝動に駆られる時がある。大抵は何とかやり過ごすのだが、たまに津波が来て、同居人がテレビを見ていても爆音で音楽が聴きたくなるときがある。そんな時には、どうしてもPublic EnemyのセカンドIt Takes a Nation of Millions to Hold Us Backが爆音で聴きたいのですみませんがご協力よろしくお願いします、と宣言しておもむろに針を落とすのであった。たまのことだからしょうがないのである。ちなみに今までそういった衝動は3回あって(覚えているのもアレだが)、BauhausとPublic EnemyとAlfred 23 Harthである。どういう類の衝動なのか、まったくもってジャンル的には謎なのであるが・・・。

でA Hawk And A Hacksawの「Deliverance」を聴いている。元Neutral Milk Hotel(もう今更こういう紹介の仕方も果たして意味はないと思うのだが一応)のドラマーのユニットの4枚目?5枚目?のアルバムである。彼等の音楽はエセバルカン音楽、というかロマ、というか東欧のダンスミュージック(というか民謡)の色が濃く、それがリリースを重ねる毎にどんどん色濃くなっていっているのだが今作ももうどっぷりそういう展開である。Beirutとかも彼等が発掘したようなものであるが、Beirutがある意味折衷的にギリギリポップスとして成り立っているのに対して、こちらの彼等は最早本当に民謡的な勢いである。しかしなんか今作は音質が不思議でまるでラジオを通して聴いているような感覚で、たまたまラジオで彼の地の放送を受信した、的な雰囲気がまたたまらない。でもどんどん本格的な勢いになってきて今作ではヴァイオリンとアコーディオンの目まぐるしい掛け合いやら、怒涛のように速い曲が畳み掛けてきたり最早民謡パンク、的な勢いである。何かThe Wedding Presentのウクライナ民謡カヴァー集Ukrainian John Peel Sessionsとかを思わず思い出すような、そういう竜巻のような音楽である。とまあ色々思うところはあるのだが、この哀愁漂うメロディがこれでもかこれでもか、と出てくるとやっぱり無条件降伏なのだなあ。そういう哀愁メロディ的に日本でも大ブレイクしそうな感じは大いにするのであるが。でも数曲ある歌入りは英語詞で、やはりそこら辺の折衷具合が何だか実に絶妙だったりするのだった。