The Kid With The Replaceable Head

mthdrsfgckr2009-12-08


遅くなりましたが先週土曜日の「Stereo」、お疲れ様でした。2セットほどDJしたのですが、1セット目は多分頭がおかしかったのか異常なカットアップ具合とかけたい曲を目いっぱいかける、という聴いている人にはシゴキ以外の何物でもない感じで申し訳ありませんでした。キタキマユから浅川マキ、というのは最早冗談以外のなんでもないつながりでしたね・・・。2セット目は夜もかなり更けてからだったので、良い具合の疲労具合も重なって我ながら良い感じだったのではないかと。またお誘いくださいませ!

しかし一ヶ月後はもう来年だ。2010年だ。今年も早かったなあ、と締めくくるのはもう毎年恒例のことになりつつあるのだけれども、このスピードは年々上がる一方で、年明け早々思いっきり体調崩して三が日に寝ていたりしたのは本当に昨日のことのように思えるのだった。そういうあれっ、とか言っている間に過ぎ去ってしまう日々を刻み付けるためにはその頃聴いていた音楽と結びつけておくのが一番良いのだが、これがまた今年はその時のニューリリースを聴いているよりも旧譜の再発とか旧譜そのものを聴いていたりする時間が多かったように思えたりするのでなかなかそれも難しくなりつつある。

となるとやはり手帳を導入してみようか、という気になってくるのだった。私は全く手帳など使わずに日々過ごしているのだが、気がつくと指の間からするりと抜け落ちていってしまった日々のことを考えると色々な意味で必要なのかな、とか思ったりするのだった。

というのは建前で、遂にこの私もレコード屋で探そうと思っていたものをその場で忘れてしまう、という事態が発生したりしてきている昨今なのでそろそろ必要に迫られて、という側面の方がでかいのだった。しかしレコ屋でそういうことになってしまうとはいよいよヤキが回ったものだのう、自分・・・。

ということでRichard Hell & The Voidoidsの「Destiny Street」を聴く。1982年リリースのセカンドアルバムである。実は最近ヴォーカルを録り直してギターをかぶせた「Repaired」エディションがリリースされていたのでそれと比べるためにもオリジナルでも聴くか、となって聴いているのであった。ドラムスにはFred Maher、ギターはRobert Quine、という完璧な組み合わせのものを再録音とはどういうことだ、と思ったのだが上記のような加工具合だったのでなるほどと納得。そう、その魅力はオリジナルでもびんびんに伝わってくるわけである。曲はファーストとは比べ物にならないほどキャッチーになって、ポップ、とも言えなくもないアルバムなのだが、Hell氏的にはヴォーカルが問題だったらしく、なんでもヤク切れ状態で無駄に切羽詰った感じでヴォーカルが入っていたりするのが不満だったらしい。でも、そのポップになった曲とあいまって彼の焦燥感丸出しのヴォーカルは何とも言えないバランスを見せている。しかもそんな中で不気味に泣けるBob Dylanのカヴァーとか後にThe Loftがカヴァーした「Time」など、落ち着いた感じもちゃんと存在しているのがまたこのアルバムをスペシャルなものにしている要因だろう。単にダサい破れたシャツを着ている時代遅れのNYパンクロッカーなどと思っている人がいたらエラク痛い目にあうこと間違いなしの傑作。

ちなみに「Repaired」ヴァージョンの方は普通には流通していないらしいのだが、ノイジーに被っているギターがMarc RibotBill Frisellという大変なことになっていて、Richard Hellのヴォーカルも「Time」などに於いては元々のヴァージョンよりも下手に聴こえたり(!)と凄いことになっているので何とか入手して聴くべきだと思う。大体Robert QuineにMarc RibotBill Frisellだなんて盆とお彼岸と正月とクリスマスが一緒に来てしまったようなギターヒーロー大集結のアルバムになっているわけだし。

ついでに言うと今回貼ってあるリンクは元々のヴァージョンの「Destiny Street」なわけだがこのCDもデッドストックCDに日本で紙ジャケをつけたものなのであんまり枚数がないらしい。なんだかなあ・・・。