Nosebleed

ということで連休最終日なのだが、この連休はどうやら震災後の疲れやら日頃のストレスやらがドッと噴出してしまったらしく、ちょいと体調が悪くなったりした。私は食いしん坊なのだけれども、胃腸が弱い。それなのに上記のようなものが私の繊細な胃めがけて攻撃してきやがったようで結構難儀したものである。

まあ、それは良いのだがあの忌々しいファックな地震からもうすぐ2ヵ月だし、それに輪をかけて忌々しい余震からももうすぐ1ヵ月である。なんか頭の片隅には常に地震とかそれに伴うエトセトラが付きまとうような暮らしにも慣れては来たのだが、いやはや、何ともあまり楽しいものではないね。でもまあ、何とか暮らしもある程度は元通りになる、ということが身をもって体感できたのだから希望というものも時には現実のものになるのだな、と思うことにしよう。

そんな中やっと友人が避難所を出られたらしいし、また別の友人からは実におめでたい話が舞い込んできたし、先日買った雑誌には友人がフィーチャーされていたし、やっぱり何だか友人のお陰で正気を保って生きて行けるのかもな、とぼんやり思う。

そんなイカした友人たちがアルバムを出したので聴いている。TADZIOの「TADZIO」を聴いている。ファーストである。そう、友達だからここに書くのもちょっとなあ、とか思ったのだけれどもあまりにも格好良いので書かざるを得ない。ギターとドラムス女子2人組である。まずライヴが最高なのだが、そのライヴでの爆撃機みたいなギターに機関銃の音みたいなドラムス、そして唯一無二の2人の声(これが何よりも良い)、といった魅力が若干殺気多めでしっかりとパッケージされているから悪いわけがないのだ。何せこんなに頻繁にアンプのピークメーターがレッドゾーンに飛びこむ勢いの良さなのに、単純な爆音ではなくて、変な表現だが安心できるやかましさなのである。さすがの中村宗一郎仕事だなあ、とか思うのだが音的にわかりやすく言うと何だかSonic Youthの「Goo」Gooを想起させられる硬質な感じである(何故か「Goo」なんだよなあ、他の作品ではなく・・・)。わかりやすくジャンクな方向に行くのではなく、曲をがっつーんと演奏して面白いものにするのは意外に簡単ではなくて、何らかのサムシングがないと決して面白いものにはならないはずのものであるが、それをここではさっくりとやってのけているから、いやいやこのデビューは必然だったんだろうなあ、と心から思う。歌詞も殺伐感強めだが、あ、思えば俺も普段こういうこと言ったり考えたりしてるわな、と気づかせられたりしたので、要は正直な歌詞なのだ。その自然体な感じはアルバム全体から感じられるのだけれども、このやかましさと瑞々しさの共存ぶりは他に類を見ないものなので、何だかグッと来るのだな。こういうアルバムがあるから変な話だけどまだまだ生きて行かなきゃ、という気持ちになるのだ(断言)!