This Town Ain't Big Enough For Both Of Us

どうわー、っと過ごしていたら7月になっていた。

そしていつの間にか強烈な蒸し暑さに苛まれる日々の到来である。こういう湿気が多く、ムシムシする日には炭酸飲料を人は欲するものである。

私のモスト・フェイヴァリットな炭酸飲料は当然ながらビールなのであるが、事情により飲めない時も多々ある。そんな時にはやはりジンジャー・エールが渇いた喉を潤してくれるのであった。

子供の時にはジンジャー・エールと言われてもあまりピンと来なくてコーラとかキリンレモンとかそういうものの方が良いじゃん、てなものだったのが大人になるに連れてジンジャー・エールの魅力はじわじわとカナダ・ドライなどを経由して浸透してきて、ウィルキンソンの辛口の、喉がイガイガするくらいに辛みの残るバシッとした味わいにやられて止めを刺されたものである。

そう、甘いものは大好きなのに甘い飲み物はかなり苦手な私であるから、こういうビリビリくるくらいの、それでいて爽快感が残り、ほんのりとした甘さが感じられる絶妙な味わいの辛口ジンジャー・エールが嫌いなわけないのである、考えてみれば。だから今年はコンビニでウィルキンソンのジンジャー・エールがペットボトル入りで売られているのを見て、今年は決まったな、と1人呟いた次第である。

そしてそのような辛口ジンジャー・エールムーヴメント真っ只中で喫茶ホルンに行けば、鷹の爪までもが隠し味に入った自家製ジンジャー・エールがあり、もうこれがまた我がジンジャー・エール愛を更に加速させる美味しさだったので、今年はジンジャー・エールの当たり年かも知れない。

ただ、こうなってくるとフツーのジンジャー・エールがちょっと甘ったるく感じられたり物足りなく感じられてくるからこれまた困りものである。まあ、でもこうして選択肢が増えるのは嬉しいことだし、辛口ジンジャー・エールがスタンダードになる日も近い、という幸せな予測も成り立つわけで、今後も下らないことが国家レヴェルでも個人レヴェルでも増えてくるであろう夏を乗り切るためには、バシッと辛みの効いたジンジャー・エールが必需品になるわけである。

まあ、機会が許せばバシッと苦み走ったビールが必需品になる、というのは言うまでもないのだが。そして下らない夏を乗り切るにはSparksの「Kimono My House」も必需品だ。1974年作、ということは私と同い年であるが、いつまでもギラギラとその魅力は廃れることのない傑作である。私もこの作品同様いつまでもギラギラとしていたいものだが・・・。それはさておきSparksと言えば、いろんな時期でそれぞれの魅力があるのだがもっともわけわからなく突き抜けていたのはこれと次作「Propaganda」Propagandaとかになるのであろうか。ジャケットの感じとか何だか変拍子の具合とかRussell MaelのMarc Bolanの高音を強めにした、時にオペラチックになってしまう歌唱などの強烈な印象でキワモノっぽく捉えられがちなのだが(まあ、多分に本人たちも意識的なのだろうが)、その実メロディアスで、ポップな楽曲ばかり入っているから、ギラギラしてても決して疲れることはなく、その怪しい輝きと共にワクワクさせられるわけで、ポップスの魔力、というか引いては音楽の魔力に溢れた名盤なのである、とここで断言できる。しかし元々CDで散々聴いていたものだが、UKオリジナル盤のアナログはドシャッと音がまとまってて迫力あるのう、と聴いている。これを新宿ユニオンで買い付けてきてくれた我が友人の歩くノーディレクションホームは自分用にも、と同時にこのアルバムを購入したらしいので新宿ユニオンの長い歴史の中でもその日は、「キモノ・マイ・ハウス」が2枚同時に売れた日、として永遠に記憶に残るのだろうな。まあ、それはさておき冒頭の1曲だけでも(映画「キック・アス」でも良い感じに使われていたが)、本気なんだか何だかよくわからないけれども異常なテンションが窺えるわけで、それだけでも名盤の誉れは当然かもな、と本気で感心した次第である。