Orgasm Addict

今日は(どうでもいいが、私のPC、「きょう」って入力したらまず最初に「狂」と変換して出てきた。しつけ過ぎたか・・・。)成人の日である。いつの間にかほとんどの祝日が日付ではなく曜日で決まるようになったこの国は、それによって起こる弊害には目もくれず「良いだろう好きだろうこういうの、国民の皆」というお仕着せがましい感じで突っ走っているから何かな。

まあそれは良い。成人式が昨日のとこもあれば今日のとこ、下手すりゃもっと随分前に行われるとこもあるようだが、成人式とか行かなかったな、とふと思い出したりした。

あれは1995年のことだったが、私は実家暮らしで大学2年生だった。もし地元を離れていたりしたらば地元に帰って旧友と再会して、とかそういうイヴェント込みで成人式とか出席も考えただろうが別に小学中学高校の友人とか、仲の良かった連中とは大体連絡取っていたし、そういう連中は大体地元にいた。だから別にそんな成人式出て話聞いて飲み会して、とかそういうことには全く興味がなかったので成人の日は普通に休日ということで過ごしていたように思う。

大体にして、大学の期末試験直前だったので英語学の勉強とか凄くしていたような気がする。そしてSugarの仙台公演に行くかどうか悩んでいたような記憶もある。今の私だったら迷わず行くのだが、前年に出た「File Under: Easy Listening」File Under: Easy Listening: Deluxe Editionというアルバムがイマイチのめり込めるような作品でなかったからかなりやる気が起きなかったのだった。「Copper Blue」Copper Blue (Deluxe Edition)直後だったら何が何でも行ったに違いないのだけれども。

20歳の頃の自分、というか成人式の頃の自分のことを振り返ってみると、自動車学校には前年の夏くらいから通い始めたのだけれども途中不登校になったりして長い時間をかけて通っていた。この成人の日の頃は卒業検定目前だったけれども、大学の試験優先でちょっと行ってない時期だったからまだ交通手段は自転車だった。付き合っている女性も、思いを寄せている女性もいなかった。思いは寄せられていたりしたのかな・・・?そんな妄想はしていたような気はするけれども実際何もなかった記憶もある。そして実家暮らし。バイトは家庭教師と模試の監督。全然イケてない20歳だった、私は。

そういう客観的要素だけでも結構地味でイケてないのだけれども、中身的にも何だかどこか鬱屈していて、斜に構えていて、成人式には上記の理由で興味もわかなかったら行かなかったけれども、もしかしたら、俺興味ないし、的な自分もなかなか良いじゃん、とか思ってたんじゃないかな、と思う。違うかも知れないけれどもずっと中二病的な・・・。

でも20歳くらいの頃はいわゆる渋谷系的なモードに世の中なっていて、雑誌とかで紹介されるものは奇麗な色遣いのもの、そして可愛いものが多くてそういうものには心惹かれていたし、音楽もその流れのものは勿論、20歳の頃と言えばPortisheadDummyMassive AttackProtection、TrickyにVelvet CrushTeenage Symphonies to GodSilent PoetsWords & Silence、とかなり熱かった気がする。何か新しい音楽と完全に並列で昔の同じような傾向の音楽、とかが紹介されている機会が多くて過去の音楽とかの掘り起こし、とかに自然に向かうようになって中古盤屋通ったりとか、そういう充実はあったような気がする。

話が逸れたが、成人式は行かなかったし、行ったところで結局何も「大人になったなー」とかそういう自分の中での意識は生まれなかったのではないかな、と思う。いや、人それぞれなので別に個人的な意見の一つ、としてとらえてもらいたいのだが。人によっては成人式がターニングポイントだった人とかいるだろうし。しかし、95年というのはこの成人式の日の直後に阪神大震災、その後にはオウム真理教地下鉄サリン事件とかあったりしてかなり大変な年だった。個人的にはこの95年頃から同好の士、とでも言うべき人が仙台にもいるのだな、ということを知るような出会いが沢山あって、それから友人のライヴやクラブイヴェント等に足をよく運ぶようになる。私が初めてDJをすることになったクラブイヴェントがスタートしたのもこの年だった。他にも本当に色々と大きな出来事があったりして、何だか鬱屈した感じがやっと消えていったような感じになったものだった。結局、今に至る自分が対外的な面で形成されていったのは20歳から21、2歳になる頃、95年〜96年くらいの出会いや活動が大きいのだなあ。

まあ、多分私の場合20歳くらいではまだまだ大人としては時期尚早、だったのかも知れなかったのだな。かと言って今は大人なんですか、と問われればいい加減年齢的には大人と言っても良いかも知れないけれども、中身はまだまだだなあ、中学生の頃、下手すりゃ小学生の頃から何も変わっていないもんなあ、とか何ら恰好良い意味ではなく本気でそう思うのだった。

そんな20歳の頃はThe Buzzcocksの「Singles Going Steady」を聴いていたな、と昨日聴いて思いだしたりした。それまで新譜のフォローだけで精いっぱいだったのだけれどもちょっと昔のも聴いてみたくなって、という感じだったのは上述の通りだが、レアグルーヴ方面とかではなくて、こういう方面に行ったのだな。パンクロックとかに関してはかなり遅咲きだったのだ私は。The BuzzcocksもFine Young Cannibalsがカヴァーしていたから「Ever Fallen In Love」だけは知っていたのだが、急に興味が湧いてこの時期凄く良く聴いていた。パンクロック界でラヴソングをメインに据えた、ということでお馴染みの彼らだがアルバムには未収のシングルとかもまとめて聴けるこのコンピはオリジナルアルバムと同じくらい熱く盛り上がれる。何と言うかここで聴ける彼らの音楽は全て早口言葉のような音楽である。ヴォーカルは勿論、ギターもベースもドラムスもめちゃくちゃ頑張ってどどどどどと早口言葉を言っているようなたたみかけ具合である。ドラムのイントロから全楽器演奏に突入、という瞬間のスピード感とスリル、それからの全員早口言葉みたいな唄と演奏、そして甘酸っぱいメロディ、センチメンタルなメロディの応酬には胸を焦がさざるを得なかったし、そんな時から20年くらい経った今でも聴くたびに何だか昔と同じように胸がキュン(!)となってしまうのは彼らが絶対的に素晴らしいバンドであることの証である。