An Aborted Beginning


自分が好きで、頻繁に、もしくはたまに機会があるごとに買い物をしたり飲み食いしたりしていた店がなくなってしまうのは、とても悲しいことだ。

以前震災後に、この街から居酒屋天狗が消えてしまったことに関して悲嘆にくれたエントリを書いたものである。いまだに私はその悲しみを抱えたまま生きている。ただ、その後徳の高い方(お誕生日おめでとうございます)のご厚意で渋谷の天狗で楽しい時間が過ごせたことは結構ここ2年のうちでのハイライトではあったものの、やはりお店がなくなっていくことは、たとえ原因が何であれ、そして世の中Nothing lasts foreverは当たり前のことなのだけれども、悲しい。

嗚呼自分が支えきれずに、とかそんな思いあがったことを思ったりはしないけれどももっと行っておけば良かったのかな、もっとお金落としておけば良かったのかな、とか、何故かまずは反省してしまうものである、それはどうにもならないことなのだけれども。それから一つ二つは必ず悔やまれることが思い出される。あん時スルーしないであのお店で飲むことにすれば良かった、とかあん時あのLP買っておけば良かった、とかじわじわ来るものである。

それは全てのものに関しても同じことなのだから、常に物事には終わりがあることを意識して生きていけば良いのだよ、なんていうことを言うのは簡単なのだけれども結構得てして人間は、物事に終わりがあることを普段あまり意識せずに生きているものである。ふとした時にはそういうことを思い出したりもするのだけれども、それを意識しながら生きていくことはとても難しい。だからたまに訪れる色々な別れというものは、物凄い衝撃を私たちに残していくものなのである。

せいぜい「次で良いかな」ということを極力減らして生きていくことしかできないものであるが、それすらなかなか難しい。ただ努めることはできる。メメント・モリ、ってそういうことなんだろうなあ・・・。

Nils Frahmの「Spaces」を聴く。寡聞にして今まで彼の作品を聴いたことがなかったのだけれども、色々あって初めて聴いてみた。うわ、これは何故今まで聴いていなかったのだろうか、とこちらに猛省を促してくるような素晴らしいアルバムである。何でも2年間のライヴレコーディング音源を素材にして編集したりコラージュして出来上がったアルバムらしく、確かに観客の歓声が入っていたりするけれども、別にライヴであろうとなかろうと、そして既発曲であろうとなかろうと、このピアノ+エレピ+シンセサイザーの組み合わせが無限の可能性を秘めていることを知らしめてくれるのである。1曲目のダブ加工された曲にも驚かされるが、優雅なピアノの調べメインかと思いきやSpectrum Spools辺りから出ていてもおかしくないシンセ中毒者の告白みたいな分厚い圧倒的なシンセの音色が全体を覆い尽くす曲、叙情的なフレーズを奏でるピアノのフレーズが細かく徐々に変調されていって何ともいわれぬ感触になってしまっている曲など、長尺の曲も結構含む80分程度のアルバムなのだけれどもハラハラさせられて飽きることは決してない。うおお、と圧倒されながら聴いてうっとりしていると歓声が入ってきて現実に引きもどされたりして、どこまでも冷静なアルバムである。Harold BuddやEno的な音をピアノメインでやっているような、と思ったりもしたのだが彼らの音よりも明らかに硬質な手触り、それでいて実に優雅で叙情的、という色々な表情を楽しめる不思議なアルバムである。更に不思議なのが、クラシック的な洗練を感じるのと同時にこの冷え冷えとしたロマンティックさはModern Love辺りからのリリースにも相通じるものがあるような気がしたりするところで、何だかしっかりと現在(と書いて「いま」って読んでもらいたい気分なんだ今日は)の音、しかも唯一無二、という結構凄いことになっているアルバムである。