美貌の青空

ラヴレコのセールはお陰さまで結構盛り上がったそうです。ありがとうございます!

で、そろそろガスも通りそうなので、非営利告知の方も閉じましたが、依然として入浴希望、水汲み希望の方がいらっしゃいましたら私の携帯電話にメールもしくは電話をいただければと思います、ご遠慮なく!

この街の、徐々に日常を取り戻しつつある部分に住んでいる私は、また激昂したりして暮らしているのだが、それとてありがたい

などと決して思わない。「取り戻すべき」日常はガンガン取り戻して行きたい所存であるが、「勝手にこっちが望んでもいないのに戻ってくる」日常は、ちょっと見つめ直して、そんでもって、いらない、となったら日常、というラベルを剥がして震災ゴミとして廃棄したい。

だから自転車は今後も適宜活用したいし、節電も、あまり日頃からドバドバ電気使ってる方ではないと思うけれど心がけるようにするし、節水も、あまり日頃からドバドバ水使ってる方ではないと思うけれど心がけるようにしたい。また、一方で心の平穏を乱す事柄、連中は早く廃棄したいものである(←どさくさだが)。個人レヴェルではそういう感じのことしかできないけれども、以前の「日常」と同じ日常を送ることが復興のゴールではなく、良い意味で何らかの変化を経た日常、ちょっと立ち止まって考えることの増えた日常、というのがゴールなのだろう、と思う。

大体、今回の震災を経験して、良くも悪くも変化がないものというものはないはずである。考えの面で、行動の面で、世の中の仕組みの面で変化がなかったら、それはちょっと逆におかしい。良い変化が多いと良いものであるが(何せこちとら「希望でも持たないとやってらんない」わけだから)。

でも、ちょっと落ち着いてきたから外に目を向けたら、この国に於ける色々な物事のやっつけ方が目に入ってきて、ちょっとどうなんだろな、今後。良い変化、はどれくらいの割合になっちゃうんだろうな、大きく見てみると。

まだ小さく見て色々やっていくレヴェルなのだろうか。「Utau」でも聴いて。大貫妙子坂本龍一によるアルバムである。全編歌とピアノのみ、というシンプルなアルバムであるが、これほど聴き手を鋭く抉る音楽もなかなか、ない。私は両者の熱心なリスナーでは決してない。それ故、オリジナルとの比較、というのもできるわけはない。しかし、このアルバムは本当によく聴く。ボケようがないくらいに歌とピアノしかないのであるが、それ故に緊張感は半端なく、教授のエレガントで流石のピアノアレンジもどこか、ハッとこちらの覚醒を促すような感じだったりする(気がする)。そして一語一語大切に発声する大貫妙子のヴォーカルが、歌詞の強靭な響きと相まって、どしんどしんとそこに置かれているような、そういう声、である。ご存じのようにかなり柔らかな、軽やかな声であるにも関わらず。それは存在感の大きさがピアノと声だけだからより一層強く感じられるのだろうか。唯一の書き下ろし「a life」の普通の言葉選びながらも毅然とした歌詞にも象徴的なように、癒し、というよりはしゃきっとさせられる、こちらを鼓舞してくれる音楽。ところでこのアルバムはヴォーカル入りディスクのみの1枚ものと、それプラスインストディスクで2枚組のもの、という2種類ある。私は2枚組の方で聴いているのだが、坂本龍一ロピアノ集となっている2枚目も隙間、というか空間の存在感が良い。そして、決して歌がなくて物足りない、というものではない。ってことはこの大貫妙子とのディスクというのは既に100%のものにさらに100%を加えて、それを無理やり100%に圧縮したみたいな、そういう作品なのだな、ということがわかってしまって怖い。ちなみにリハーサルの断片をつなぎ合わせた曲(?)もインストディスクの方にはあって、本当に断片を切り貼りしたみたいなのだが、そこで教授は「東風」みたいなフレーズを弾いていたりするが、それはどっちかというとCornelius CardewFOUR PRINCIPLES ON IRELAND AND OTHER PIECES(紙ジャケット仕様)が弾いていた中国楽曲のフレーズみたいに聴こえたりして、ちょっとドキッとしたりした。