Always Together With You

Pillows & Prayers 2022年4月30日(土)16:00~ @ Monet 

入店: 1000yen

DJ: shinshin, tmym, tdsgk

今回はcsgbではなく、こんな感じでやってます。故にジャンルもまだ未定ですが、色々になるかな・・・。とりあえずなんか7インチだけ持って行こうと思ってます。まあイヴェント名もこういう感じなので、そういうノリが多くなる可能性も(というかまだ我が家の7インチ箱を開けてみないことには何とも未定ですが)。よろしかったらふらりと!

 

aobanunoise.thebase.inあkk

白と黒、M~XLのサイズ展開ですよろしく!2022年はAOBAできると良いなあー。その際には是非皆様このTシャツ着用の上でご参集いただきたい!
 
最近どうも気圧の変化に敏感なようで、結構しんどいわー、とか死ぬほど眠いわー、とか頭が割れそうだわー、とか思ってるとどうも気圧が下り坂、ということが多くて、いやいや自然には敵わないわー、としみじみ実感するのであった。
 
そう、敵わないのである人間いくら頑張っても。ということでこれからは大人しく、細々と自然と仲良く生きていきたいものである、って弱気になってしまうくらい頭が痛かったり眠かったりする昨今なのであった。これ何とかならんものかのう。
 
しかしSpiritualizedの「Everything Was Beautiful」を聴いて覚醒しまくったりしている。

昨年は過去作の再発等もあって大変に盛り上がりましたな・・・、というタイミングでの3年ぶり9枚目のアルバム、である。これが本当に大変なことなのだが、こんなアルバム聴いたことない、って音になっているから本当にびっくりして入手してからずっとこればっかり聴いている。物凄い音の密度のアルバムである。30人以上のミュージシャン(含むJ. Spaceman娘)が参加していて、音の層は一体何トラック使っているのだ、というくらいに重なりまくっていて、最早J. Spacemanの歌の後ろは音の塊、ウォールオブサウンド(しかもPhil Spectorのそれの末期、Ike & Tina Turnerの「River Deep Mountain High」

River Deep-Mountain High

River Deep-Mountain High

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ばりの狂気の塊音に近い)と言えるくらいなのに、恐ろしいほど「聞かせたい音」がはっきりとパートごとに際立っていて、結果フィーチャーされる色々な音によって曲が展開していく、というミックスの技が冴えまくった奇跡の音、である。大体分厚い音の塊の中でカスタネットの音がちゃんと聞こえたり、さっきまで埋没していたはずの管楽器のフリーな大暴れや、確かにさっきも鳴っていたけれどもこんなにでかくなかった、というギターの咆哮が前面に出てきて盛り上がりを作ったりしていて、何だか聴くたびに驚かされる。しかも、歌詞やアートワークでは昔のネタを再び、みたいな感じがあったり、曲によっては以前はラフスケッチ止まりだったものを昇華させたり、と意識的にレトロスペクティヴな感じなのに、まあ確かにシンプルな火を噴くようなロックンロールや泣けるバラッドをストリングスやブラスやゴスペル調コーラスで、と言うとこれまであった感じだけれども、それでもなおこれまでなかった感じの新鮮さがここにはある。例えばそういう驚きは早くも2曲目「Best Thing You Never Had ( The D Song )」に現れていて、こういうロックナンバーだったら前もあったな、と思いきやストイックな8ビートにシンプルなギターリフがミニマルな感じでひたすら最後まで突っ走る、という、上記の通りのミックスの凄さも含めて、その他の面でもまさに「ありそうでなかった」曲が全7曲入っているのであった。やはり異常に軽やかだった前作

And Nothing Hurt

And Nothing Hurt

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を経たからこそこういうアルバムになったのかな。歌詞も相変わらずシンプルながら、まあ全然違うけれども、あれ、Leonard Cohenの「I'm Your Man」みたいだな(「君が○○を望むなら僕は○○になる」みたいな羅列)、とか思ったりする瞬間もあったりして、まあ何を言いたいかと言うと今年はこのアルバムに出会えて良かった、とか言いたくなる系の名作である。

Woman

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そういえば昨日はレコードストアデイであったが、仙台のレコードストアも数少なくなってしまったけれどもこれからも頑張ってほしい、とそれらに日常的に行っている私としては、願うばかりである。
 
RSDのリリースに関しても以前ほどなんとなくパラノイアックな、うおおお入手せねば、というテンションが下がっているのを感じていたのだがそれは単にリリースにあまりピンと来るものが今回あまりなかった、ということが原因なのかそれとも私の情熱がそれほどでもなくなってきてしまったのか、と思ったりしたのだがRSD関係なく買ってるわな、ということに思い当たり、まあたまたまだろう、となった次第である。
 
ということで土曜日だけれども仕事とかあったりしたので、結局夕方に仙台のタワーレコードに行きお目当ての2枚がまんまと残っているのを見つけてポイントかまして買ったりしてきて終了、となった次第である。
 
しかし・・・。それはそれで良いのだが、Simple Mindsの3枚組ライヴ盤とかEcho & The Bunnymenの21世紀に入ってからのシングルB面とライヴ集とかThe Soundのコンピとか、そういうものが仙台のタワーレコードのRSDリリースコーナーにあるのを見てしまうと、なんかここら辺、俺がなんとかしないといかんのか・・・、別に全然欲しくもないけど・・・、と何だか物凄く難しい気持ちになってしまった次第である。いや、勿論大好きな方々なのだけれども、これはいらん、というリリースなわけである。でもそうも簡単に切り捨ててしまって良いの・・・?と何か責められているような気持ちになってしまってしばし店頭で固まったのだった。
 
これからもこういう業を背負って生きていかねばいかんのか、いや、微妙なものを高価な仕様でリリースせんでくれ・・・、という心の叫びであった。Confidence Manの「Tilt」が楽しい。

オーストラリア出身のダンスポップグループのセカンドである。4人組だけれども2人はファーストアルバムのジャケからしても明白であったが

完全に黒子で、それは今作でも変わらず、である。とにかく何だか、全然悪い意味ではなく新しい感じのしない享楽的なダンスポップをどかーんとやっているファーストには大層衝撃を受けたのだが、今作でもその破壊力は衰えを知らず、寧ろより焦点が定まった90年代~00年代の香りが漂い(過ぎる)ダンスポップをぶちかましている。当時こういうのあったよな、という不思議なデジャヴに襲われる全12曲で、先日ひょんなことからhmdtmn氏からBetty Booのファーストアルバム

BOOMANIA

BOOMANIA

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のアナログをいただいて久々に聴いたりしていた私としては、何だか物凄く嫌になるくらいしっくりきてしまう。歌詞も含めて何だかこんな混迷の世の中に相応しくないくらい気楽な、というかなんかめんどくさくないアルバムなのだけれど、逆にここまで突き抜けるのは本当に凄い気合いと作りこみの成果に違いない、という凄みを感じる作品。

Blues Look The Same

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『鑑識レコード倶楽部』と言う本

鑑識レコード倶楽部

鑑識レコード倶楽部

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を入手して、一気に読み終えたりしながら新年度のドタバタを乗り切ったりしていた。

 

しかしてこの『鑑識レコード倶楽部』、なかなかの曲者、と言うか一筋縄でいかない本過ぎて、まず強烈である。端的に言って、世間一般でのこの本に関する情報、つまり帯推薦文に於けるピーター・バラカン直枝政広といった人選、レコード好きが集ってただ聞くだけのストーリー、といったような説明などから受ける、音楽好きを狙った感じの本ね、という印象とはだいぶ遠い本である。

 

読んでみると、上記の音楽好きが読んだら楽しいんじゃないかな、っていう印象は裏切られ、全然悪い意味ではないけど楽しくない、のである。なぜその楽しくないのが悪い意味ではないのかと言うと、辛いわけではなく、むしろその楽しくないのが面白い、のである。伝わるかな・・・。

 

狂気を感じるほどに淡々と、というか「淡々と」どころでもなく冷酷なまでに一本調子で本のページが進んでいく様にはなんか「不条理」と言う言葉が相応しいくらいだな、と思い当たり、なんかこの読み手が置いて行かれて話が進行しているのにどこにもたどり着かない感じ、カフカっぽいな、とか思いながら読んでたらあとがきにカフカへの言及があって、あーやっぱりな、となった次第で、そういう面白さ、である。

 

確かに記号として曲名やら何やらは当然頻発するのだけれど、これが例えば花の名前でも戦国武将の名前でも、何でも置き換え可能なくらいのウェイト具合で、たまたまレコード好きな人の話だった、という程度で逆に笑っちゃうくらい痛快である。だから古今東西の名著、たとえば『ハイ・フィデリティ』

とか『レコードは死なず』

(これはノンフィクションか)とか、そういう読み手がカタルシスを感じるくらい、レコード抜きには語れない物語の本を読み終えた時の感覚は全くないので、そういうのを求める向きにはお薦めできないように思うけど、面白い読書体験ができる、そしてついでにレコードについてでもある、というところがストンとくる人には物凄く大推薦だったりする。

 

あらゆるところが腑に落ちないまま進行し、結局最後も腑に落ちないし、様々な世の中の事柄の何らかのメタファーの連続であると考えないとこちらが正気を保てないような話ではあるが、私、この作家さんの他の作品当然読んだことなかったのだけれども、めちゃくちゃ好みすぎて他の作品も読んでみることを決心した。あとがきにも"deadpan humor"という言葉が出て来たけれどもまさにそこが非常に魅力なのだな、と一気に読み終えて虚空を見つめて呆然としながら、なんとか自分の中で色々とこの本に関して落とし所を発見しようとしながら思った次第である。

 

流石にUKが舞台だと、アーティスト名は全く出てこないけれどもRed Lorry Yellow LorryとかIt's ImmaterialとかTeenage FanclubとかThe Only OnesとかMekonsとかSparksとかの曲名が、所謂古典的な名曲の曲名に混ざって出てくるので、そこらへんはまあレコード扱ってくれててありがとう、という悦びはあったな、確かに。

 

でも、レコード好きとして悦びを覚えるポイントは、全然悪い意味ではなく、そこだけ、なのである。ただ、何度も言うけどそこがこの本の凄いところ、面白いところなので、是非ご一読をお勧め。

 

まだなんかもやもやというか、何だったんだ・・・、という読後の思いに囚われているのだがEve Adamsの「Metal Bird」を聴く。

Metal Bird

Metal Bird

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以前は違う名義でも活動していたらしい彼女の3枚目となるアルバム(らしい)だが、去年出ていたものの再リリース、らしい。「らしい」ばかりで申し訳ないのだが私は昨年のリリースの時から気になっていたのだけれども入手できず、今回の再リリースでやっと聴くことができた。そして、これがまた傑作で震える。Crack Cloudのメンバーのプロデュースによる、基本的には彼女の自然な歌声をいかしたフォーク然とした曲に往年のジャズ風情のストリングスやブラスやドラムなどが華を添える、とても良い感じの(歌詞も含めて)牧歌的な感じのアルバムなのだけれども、どこか音の響きが言ってみれば不吉な感じで、そう、最初聴いてなんら情報を得る前から思ってたのだけれども、インタヴューで彼女が言及していたThe Caretaker

Empty Bliss Beyond This World

Empty Bliss Beyond This World

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みたいな、当時のレコードから歪んだ感じでサンプリングされまくったねじれたオールドタイミーさとか、バックに鳴るふわーっとしたシンセの音からEnoっぽさとか、David Lynchっぽさ(本人の音楽じゃなくて映画の方の感触)とか、そういうものがあってですね、凄く聴きやすいのだけれども、何だか溺れたら危ないんじゃないか、という甘さに満ちた音楽、である。溶けたMazzy Starみたいに感じられる瞬間もあって、こういう音楽はCindy Lee

Model Express [Analog]

Model Express [Analog]

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聴いた時にも思ったけれども(こんなに極端じゃないかもしれないけれど)、どうにも私は惹かれてしまうのであった。嬉しい大発見音楽。

 

 

One

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今日は天気の良い、暖かい日曜日。昨日あんなに痛飲したのに(Jason FalknerがSwell Mapsのカヴァーをしている、という衝撃の話題とかで杯を重ねた)全く酒も残っておらず元気。やはり楽しい酒は翌日に残らない。
 
お昼ご飯を食べてからReynolsの本人不在の日本ツアー(というか展覧会)に向かうため、家から車で1時間ほどの会場へと山間の道とかを桜を眺めたりしながら運転していると、なんか嫌なこととかあってもちょっとは気が晴れる感じだのう、としみじみ春の気候のありがたみを感じたりした。多分これは私があんまり花粉症とかに関係がないから、こういう気楽なことが言えるのかも知れない。
 
Reynolsの展示も満喫し、ちょっと足を延ばしてまあまあ近くのブックオフに行き、なかなか良い感じのアナログ盤を3枚ほど抜き帰路につく。まだ午後も早い時間で暖かいし気候も良い。ということで何となく珍しく明るい気持ちで運転していると、追い越し車線を私は走っていたのだが、走行車線を走っていた隣の車が急にふらつきだし、私の前を走っていた車にどかーんとぶつかった。
 
私がYouTubeでよく見ている、ドライヴレコーダーがとらえた事故の瞬間、みたいなのが目の前で展開されて大いに動揺したが、眠気を誘うようなうららかな気候の午後、多分居眠りしたんだろうなあ、と想像しつつちょっとドキドキしながらその後も運転して無事帰宅したわけだけれども、こういう良い気候の中出かけて行って、良い気分で私は帰れたわけだけれども、世の中何があるかたまったもんじゃないな、と急に目の前で起きた事故のおかげでどよーんとなってしまった。
 
まあ今日見た事故は、なんか逃れようがないような事故だったけれども、少なくとも私も突っ込む側にはならないようにしないとな、と気を引き締めた次第である。ちなみに私は車の運転の際は、意外に眠くならないのであった。多分爆音で音楽聴いているからなのかも知れないけれども、それでも気をつけないとな。今日は車内ではAmber Markの「Three Dimensions Deep」を聴いていた。
Three Dimensions Deep

Three Dimensions Deep

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良すぎて興奮していたので眠くならなかったな。USのR&Bシンガー(と言って良いのか)のデビューアルバムである、とは言え最初にシングル買ったのが確か5年前だったので、忘れた頃にやってきた感じでもある。2枚目のシングルではSadeのカヴァーとかやっていて、それもずっぱまりであったのだがそれからも4年経ってのこのアルバムはちょっとそういう世界とも一線を画すような独自路線になっていてとても良い。トラップ風もあり、正調ソウル風もあり、ガラージ風もあり、だがどれもポップなメロディと風通しの良いプロダクションが特徴で(本人が結構絡んでいるからよく声を生かす感じをわかっているのかも)、凄く聴きやすくキャッチーである。それでいて何だかアルバムが自分の成長というかネガティヴなことへの対処の仕方を3つのパートに分けて表現していて最終的に宇宙的な話にまでなっている、という謎のスケールのでかさなので、なるほど音の方もそれが反映されたスケールのでかさなのか、とわかったようなわからないような気持ちになった次第である、帰宅してから。でも彼女のちょっとハスキーなヴォーカル、これがアナログ2枚分のヴォリュームでも全く飽きずに聴ける最大の要因かも。

Splashdown

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私は結構音楽を聴くのが好きな方なのだけれども、どんな音楽が好きなのか、という問いが一番困る。自分でもよくわからない。
 
ただ、自分でもどんな音楽が好きなのかよくわかっていないのだけれども、一つ言えるのは自分の好きな音楽を聴くのが大好き、ということである。裏を返すと好きでもない音楽を聴かせられることはこの上なく嫌い、ということになるので、そんなにそんなに、音楽って良いよねー、と無条件に言えるような感じでもない人なのだな、と自分で最近わかってきたようにも思える。
 
好きな音楽、曲はたくさんある。でもやっぱり例えば油そば屋の店内で耳にする曲の中とかには、うわこれは本当に嫌だな、とか思うものもあったりしてそういう方が強烈な印象を残したりする。しかもそういう曲に限って歌詞で、なんだかすごくわざとらしい感じで自惚れた感じで、音楽に対しての想いなんかをラブレターのような形式で述べてたりして、そういうのも本当に嫌だな、とこの間思ったりしたんだよ。調べてみたら、まあその曲に限らず本当にその人たちの楽曲にはこれまでも耳にして嫌な気持ちにさせられたりしてきたので、嗚呼根本的に私とは合わないんだなあ、と感じ入ったりしたわけである。
 
好き嫌いは別に人それぞれだし、音楽とかに優劣があるわけではないんだけれどもたまにはこういうことも言いたくなるわけである。で、止せば良いのにまたそういうのが好き、とか言っているであろう仮想ファンなんかのうすっぺらい言葉も勝手に思い描いてしまってもう本当に嫌だな耐えられんな、という負のスパイラルに落ち込んでしまったりすることがあったりするんだけど、これは私だけではないはずだぜ!と信じたいぜ!
 
とかどーでもいいのにY○AS○BIに対していちゃもんつけたくなったりするなんて、心が弱っている証拠である。The Telescopesの「The Telescopes」を急に聴いていたりしたんだ。
The Telescopes

The Telescopes

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1992年にCreationレーベルから出ていたセカンドアルバムである。ファーストはなんかヘヴィなギターのサイケ、という感じでSpacemen 3やLoopといった連中を想起させるような、そういう感じだったのだがCreationに移籍してからの最初のシングルはそのノリだったにもかかわらず、時流に乗ったのかそれ以降の3枚のシングルはインディダンス風のビートにキャッチーなメロディの名曲群で、これは大変なことになった、と当時興奮していたものだがそれらを経てからのこのアルバムはまた、アクースティック楽器をフィーチャーした、一歩先を行く成熟したサイケデリア、でやはり興奮したものである。ダウナーでジャジーな空気感とかを当時こういうバンドで醸し出しているのは他にも全く見当たらなかったと思うし、なかなかそれだけでも群を抜いていたと思う。それ故に一過性のムーヴメントに翻弄されることなく、この後も(私は全く追いかけてないのだけれども)息の長い活動を続けられているのかも知れない。しかしこのアルバム、全然古びてないな、久々に聴いたけど。と言うか出た時からもうクラシック的な風格のあるアルバムだったからな・・・。ちなみにEd Ball参加。

 

A Gentle Acaba ( Vento Em Rosa )

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先日職場で健康診断があったのだが、その日を境に何だか大層具合が悪くなってしまって難儀していたのであった。
 
全くこれでは不健康診断ではないか。まあ、別にその健康診断の際に何があった、というわけでもないのだが・・・、いや、胃検診でバリウム飲んでグルグル回されたりして、結局そのバリウムが体外に出切ったのが翌朝だったな・・・。それが全ての元凶なのかどうかわからないが、頭が痛いとか身体の節々が痛いとか寒いとか何なら腰が痛いとか目の奥が痛い、とか全ての身体の不調が一気に襲い掛かってきたかのような事態になってしまって、大変に辛い日々であった。
 
今日くらいには何とか復調してまあまあ元気になったが、これ、年齢のせいでこれからずっとこうなんですよ、とか言われるような事態だったらもう世を儚むわ、くらいのしんどさであった。
 
結構私くらいの40代後半になってくると不調が意外に洒落になんなくなってくるので、マジで勘弁願いたいものである。まあ最終的に残った不調が頭痛と目の奥の痛みと肩こり首の痛み、とかだったので要は疲れが蓄積していたのだろう、という結論になったのだが。
 
でも歯茎が痛いとか耳の聞こえが悪くなる、とかまで出てきていたので、何もこんな一気にどさくさに紛れて不調が畳みかけてこなくても、という感じであった。季節の変わり目、という一言で済ませられるうちはまだ良いのだが、本当、普通に食べて寝て起きて歩いて、というごくごく基礎レヴェルの健康のありがたみを感じる一幕であったよのう。
 
で、Alabaster DePlumeの「Gold」が癒してくれたのであるよ、そんな不調なわたくしめを。

前作

To Cy & Lee [12 inch Analog]

To Cy & Lee [12 inch Analog]

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で一気に私を虜にしてくれた、ついでにレーベル、International Anthemを要チェックレーベルにしてくれた彼の新作である。マンチェスターのサクソフォーン奏者であり、詩人であり、活動家でもある、というなんだかわかるようなわからないような肩書の彼であるが、今作はアナログ2枚組のヴォリュームで、The Comet Is Comingとか(あんまりよう知らない)のメンバーやら大勢のミュージシャンとの即興セッションをまとめたものらしく前作と同じような、もやーっとした、エキゾティックなメロディを震えるサックスが奏でる、どこの国の音楽か謎な不思議な世界もあれば、ビートを感じるポエトリーリーディングが乗っかるファンキーな世界も歌というか語りの世界もボッサの空気もエチオピアのジャズのような世界も、めちゃくちゃ良い意味でばらんばらんに畳みかける感動の作品。ちょっと不調な時に聴いたらマジ、救われた・・・、って感じるくらいに音楽のエネルギーを放出しまくる充実作。それでいて全貌が何だかまだ謎、というのもとても楽しい。またAlabasterさんの声というか歌がArto LindsayとかMomusとかを想起させるような、そういうヴォーカルなのでもろに好物。現時点での今年のベストである。

Mono Valley

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日曜日の夕方のお楽しみと言えば片寄明人さんがパーソナリティのNHKFM「洋楽グロリアスデイズ」なわけで、最近はスマートフォンのアプリで聴き逃し機能を利用して、つまりリアルタイムで聴かなくても後から聴けるようになっているので、毎週日曜日は大体18時過ぎから夕食を作成しながら聴いている。
 
先日も聴いていたらThe B-52'sの「Love Shack」が流れた。

この89年リリースのアルバムは持っているしもちろん彼らが歌うこのヴァージョンはお馴染みなのだが、はて、なんだっけな、違うヴァージョン聴いたことあるな、なんでかな・・・、と料理しながら思い返していたが、急にガーンと思い出した。それはあれだ、2003年に仕事でカナダに行った際に連れていかれたカラオケ付き中華料理屋で聴いたヴァージョン、だ。

 

そもそもなんでそんなカラオケ付き中華料理屋に行ったのか、と言えば。私がその2003年の滞在時にステイしていた家の斜め向かいに日本語が喋れない日本人が住んでいて(何世、という奴だね)、その日本人が、自分のお父さんがお世話になった韓国人の老女にお礼を言いたいんだけれども、彼女は英語がいまいちわからず韓国語と日本語しか喋れないから(それでいてカナダの施設にいる、ってのも凄い話だったけれども)、その日本語の喋れない日本人が話す英語を私が日本語に訳して、その老女と電話で話してくれ、そしてその老女の日本語を英語に訳してくれ、つまりいわば同時通訳的なものをしてくれ、と頼まれたのだった。

 

もう大事故の予感しかしない案件だったわけだが、案の定その韓国人のおばあさんは、いくら私が、その日本語が喋れない日本人がお父さんのことで感謝しているんだよ、と説明しても、大丈夫かな・・・、わかってもらえてんのかな・・・、そもそも何だか日本語も怪しくないかおばあさん・・・、という感じで、果たしてその試みはうまく行ったのかどうなのかは謎だったが、まあそのお礼で、何か食べに行こうぜビール飲もうぜおごるよ、ということでそんな中華料理屋に連れていかれたのであった。

 

その店はステージがあって、そこに上がってレーザーディスクのカラオケ(!)に合わせて歌うという、まあ日本の往年のスナック(行ったことないので想像だが)のような感じで、その地元では有名人だ、というトラックの運転手の歌う、"Come On"の回数が明らかに多すぎたThe Doorsの「Touch Me」


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とかで爆笑してたら、近所の日本料理店に勤めている中国人の女の子グループがその「Love Shack」


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を歌ってたのだ。そのやんちゃなヴァージョン(原曲もやんちゃだが)が強烈だったので、なんなら本家を超えるくらいのインパクトだった故に、脳裏に刻まれてしまっていたのだな。

 

かように音楽は色々な記憶のトリガーになりうる。ラジオで聴いたThe B-52'sの「Love Shack」のおかげでそんなことを思い出しちゃうわけだし。そしてついでに、そのカラオケ中華料理屋で勧められるがままに、空気の読めない奴だと思われるのも癪だしビールもたくさん飲んでいたし、ということで私がRoy Orbisonの「You Got It」


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を熱唱した黒歴史のことまで思い出したりしてしまったぜ。

 

でもその中華料理屋、2019年にそのカナダの町を再び訪れた時にはもうなくなってしまってて、それもまた猛烈に切ない記憶だな。

 

Movietoneの「Peel Sessions」はここ最近の一番うれしいリリースだったかも知れない。

Peel Sessions [Analog]

Peel Sessions [Analog]

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90年代半ばのブリストルと言えばMassive AttackにTricky、Portisheadと言ったいわゆるトリップホップ的な音楽とFlying Saucer Attackあたりに象徴されるようなアブストラクトな音楽、ということでめちゃくちゃ熱狂的に盛り上がらせられたものだが、そのFlying Saucer AttackやCrescent、The Third Eye Foundationなどのメンバーが、音がそれぞれ大分違うのに出たり入ったり、つながっている様も面白かった。このMovietoneもそんな中の1つで、テンションは低く、音量も低い、多分体温も血圧も低い、そんなlowなアシッドフォーク的なサウンドには本当にはまった。たとえ各楽曲の区別がなかなかつきづらくても、この音世界からは抜け出せるものではない。そんなKate Wrightを中心としたグループの未発表だったJohn Peel Sessionがリリースされるのだから生きていると良いこともあるわけだ。基本的にはリリースされている作品とは大きく変わらないノリなのだけれども、グラスを割る音やスクラッチ音などが最初(1994年)のセッションには入っていて度肝を抜かれた。まあそういうことやってるのはMatt Eliott(The Third Eye Foundation)だったりして、しかも彼はファーストアルバム出る前に脱退しているのに、このアルバムに収められている最後の1997年のセッションにもしれっと参加していて、何気にキーパーソン、である。久々に触れてみて、一見とても不愛想に見えて、且つ色々「低」ではあるが、このインティメットな感じは他にはなかなか類を見ない親しみやすさ、と言っても過言ではないな、と気づかされたし、まるでそこに置くかのように奏でられるピアノや木管楽器、ドラムの絡みが瞬間的にジャズ感を醸し出しているのが新鮮だったり、でやはりふとしたタイミングでこういうリリースがあると大変にうれしいものである。