Tezeta

そういえば前回のエントリの続きのような感じなのだが、昔働いていた輸入盤店にこの間久々に行ったのだった。それはまさにポイントカード切れが発覚した哀しみのXデーとして深く記憶に刻まれるであろう、まさにその日だったのだが。

馴染みの店員さんと話していたら、もう私の好きな所謂ロックやら何やらの新譜入荷はストップさせて、プログレとジャズをメインにやっていくそうだ。そしてロック系は中古のみ、とのこと。そこで、帰り際言われた一言が

「見捨てないでね」

という、リア・ディゾンのような台詞だったので大層切なくなってしまった。嗚呼、どこを見ても気が滅入るような話ばかり、それでは音楽でも聴いて楽しもう、としてもそれを取り巻く諸々も気の滅入るような感じになってきてしまっている。出口は来年には見つかるのだろうか。それとも。

いや別に悲観的なスタンスを気取っているわけではなくて、今の世の中、現実的に物事を見てみようとすると悲しい観測しかできなくなっているのだ。何をしたら良いのかなあ、と新聞読んだりニュースを見たりしても自分に何ができるのかさっぱりわからない。あ、わかってる人がいたら奇跡、なのかもな。

暗いトーンの話が続いて申し訳ないのだが、本当にどこでどうやっても、顔を上げて見渡せば何だか気が滅入ったりするものである。まあそんな時は足元から見て身の回りの小さな楽しみ喜びを慈しんで、それを大きく育てていくのが得策なのだな、うむ。ということで「Ethiopiques 4」を聴く。映画『ブロークン・フラワーズブロークンフラワーズ [DVD]で大層印象的に使われていて気になり、その後聴いた最高のコンピ2種30 Years of Rough Trade ShopsSleepwalkでも大層印象的だった、エチオピアのジャズミュージシャン、Mulatu Astatkeの曲のコンピである、って大体にして正しい読み方わからんし、エチオピアのジャズに明るいわけでもない。それでも、この哀愁に満ちた、そして日頃親しんでいるものとは明らかに一線を画す旋律には心奪われるのである。69年くらいから70年代前半までの曲を集めたらしいのだが、何だかレアグルーヴ、とか呼ばれ持て囃された音楽に近いような、ある種の分かりやすさがあって凄く親しみやすい。良い意味でのいなたさに溢れているのだが、ギターのカッティングとかが実にリズミカルだし、ビートも快活なものがほとんどですんなりといけるわけである。それでもMulatuさんが奏でるエレピの音色とそれと対をなすようなブラスの音があり、そこから繰り出される哀愁メロディは凄く不思議な感じで、結構ギリギリなところにあるような音楽なのだけれども、凄くクールである。兎に角物凄いインパクトで一瞬のうちに脳内に刷り込まれてしまうような、そういう不思議な音楽。エキゾティック、とか言っちゃえば早いのかも知れないけれど、何だかそういう言葉で言い切っちゃうのも勿体無いような、病み付き音楽なのであった。