Late November

最近手荒れが大層酷いのである。

この季節は乾燥しがちであるから仕方がないのかも知れない、と思いつつも今キーボードを売っている右手の人差し指や親指の先が大層痛くて、とくにこういう作業の際には人差し指の先端が大変に痛くて難儀している。ちなみに携帯電話のメールを打つ際には右手親指の先が痛くて大層難儀しているので、これはいっそメール類を利用しての外界との接触を断つべきなのか、とかナチュラルボーン引きこもりの私なぞはすぐにそういう発想に結びついてしまいうから困りものである。

両手の平もかさかさしていてそれはそれで何ともアレなのであるが、それにつけてもやはりこの指先の荒れ具合が酷い。図に描いて説明したい勢いなのであるが、指の爪の両端から指の腹に向けて切れ目が入っているような有様で、何だかそこの切れ目はぱくっと口を開けていたりするものだから何だか始末に負えない。

元々足の指は巻爪なので、もしやそれが手指にまで転移したのか、と一瞬思ったりしたのだがまあ手の指の爪に若干その傾向は見られるものの、足の指の爪ほど酷い湾曲具合を見せているわけではないので、その可能性は低いと思う。では何なのか。毎晩の水仕事のせいなのだろうか。

まあ、その可能性が高い。ゴム手袋とか、そういう面倒くさい手法を用いるしかないのかも知れない。それはまあ今後のことだから良いとして、問題はこの現時点での手荒れにいかに対処するかである。ハンドクリームとか、何かクスリとか、そういう有効な対処法をご存知の方には是非ご教授いただきたい。何せこちとら手荒れ童貞なので経験不足も甚だしいわけである。

やはり歳を重ねる毎に潤いというのは消えていくものなのだろうか。それ故に我が手指等は大変なことになってしまっているのだろうか。嫌だ、それは嫌だ。手荒れも嫌だけれども、歳のせいで、というのはもっと嫌で断固として否定したいものである。いつでも人間、己の年齢には牙を剥いて向っていかなければならないわけであるからして。

Sandy Dennyの「The North Star Grassman And The Ravens」を聴く。元Fairport Conventionの彼女が71年にリリースしたソロデビューアルバムである。私はこのアルバム、まず何よりもジャケットが大好きである。紅茶占いでもこれからしようとしているような彼女の姿がフィーチャーされているわけであるが、じーっと見ていると何か色々、何故この時計はこの時間なのか、とか何故このように薄暗い中で彼女は1人コーナーに座って集中しているのだろうか、とか眺めているだけで色々考えさせられて、更にはこのタイトルは一体何なんだ、とか本当に取りとめもなく思考が渦巻いてしまうのである。それはまあ良いとして、トラッド色濃いFairport Conventionのヴォーカルだっただけあって、トラディショナルナンバーも取り上げているものの、べたべたなトラッド臭はなくタイトなバンド編成による演奏もしゃきっとした、実にシンプルなシンガーソングライターのアルバム然とした佇まいの作品である。彼女の声も高くもなく低くもなく、程度な力強さを兼ね添えた実にストンと入ってくる声質であり、ほっとして聴けるアルバムで、そういやJoni Mitchellとかを想起してしまう瞬間もある。しかしそれでもジャケ写から受ける印象のような、何かちょっとひんやりとした冷たさと言うか寒さも感じられ、実に良い塩梅で色々無駄なく共存している感じが最高だと私は思うのだった。なんかビターな面とスウィートな面が両方とも表裏一体な形でアルバム全体を覆っているというか。Richard Thompsonのギターがまた良い味を出しているのだが、一筋縄では行かない展開の曲とか、何か割り切れない進行のコードの曲とか、最初聴いた時は何かとっつき難い感じだったりしたものである。しかしそれ故に何度も何度も聴いてしまう作品でもあったりするんだなあ。