Long Flowing Robe

まずは月に一度のお楽しみ、26日の日曜日です!

AOBA NU NOISE @ Club SHAFT 2009.4.26( Sun ) 20:00〜 ADV \1500(1D) DOOR \2000(1D)
Guest Live Act/sajjanu (TOKYO) http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewProfile&friendID=1000630278
AKBK (TOKYO) http://www.myspace.com/akbkgrind
Live Act/-W-(Waikiki Champions), runny stools, KODA
DJs/DROP, EVOL(from LoveRecords), RAMBO, SiSi

多分アラバキ帰りでぼろぼろになっているでしょうが、死力を振り絞って頑張ります。

で、こちらは28日火曜日です!多分疲労回復しているはず(希望的観測)。昭和の日の前の晩なので次の日お休みの方も多いのでは!

【MINIMUM〜omotenashi special〜】@ Club SHAFT 2009.4.28( Tue ) 21:00〜 DOOR 2000(1D+手作りオヤツ付)
GUEST DJs/SEESAW(FUTUREDAYS), TDSGK(AOBA NU NOISE)
おもてなしDJ&LIVE/コケティッシュマーダーガールズ(くわまん&あらき)....amd more !!(追加ゲスト有)

両方ともよろしくお願いいたします。

なんでも昨日4月18日はレコードストアデイなるものだったらしい。つまり、実際にレコ屋に足を運んでレコードとか買う楽しみを見つめなおしてもらおう、的なイヴェントだったらしく海の向こうでもこの日本でも各種イヴェントが、まあ、この日本では小規模なものだったらしいが催されていたらしい。

海の向こうではこの日にぶつけて限定7インチが出たり、とか結構面白そうだったが、日本ではそういう感じではなかったようである。何かリリースでもあれば楽しかったものだが。

我が街でもちょこっとそれに合わせてやっている店がいくつかあって、そこの恩恵を被って軽くダブルポイントでお買い物などしたわけであるが、そこでふと思うのである。私は毎度毎度、レコ屋CD屋に行くのが本当に楽しくて楽しくて、それは20年以上前から変わっていなくて、しかも買いたいものがなくても、お金を持ち合わせていなくても店にいるだけで凄く楽しいものだが、今や世界的に「盛り上げなきゃ」ってくらいにそういうノリが失われつつあるのだろうか。

確かに配信でどうこう、というリリースはえらい勢いで増えているし、実際廃盤の音源が配信では買える、ということがあったりする。大体Basement 5とか配信で聴ける、という話を聞いて仰け反ったりした。そもそもあれはCD化されているのか、という問題からスタートしなければいけない話だよなあ、と。

というか昨日のこの「日々散歩」のネタではないが、もし世の中私のような人間だらけだったら(昨日のネタで言えば元「半分私」だらけだったら)別にレコードストアデイとかなくても、盛り上げようとしなくてもフツーに盛り上がってるのかも知れないなあ、とか思ったりした。世の中的に私のような人間だらけ、っていうのは健全な状態ではないだろうけれども(断固として不健全であろうが)、レコ屋的にはかなり良いかもなあ、と給料日前の青色吐息状態の財布を抱えて思うのだった。でも買いたいもの被るから私VS元半分私のバトルは熾烈なものになるんだろうが。

って結局昨日と同じオチでTodd Rundgrenの「Runt. The Ballad Of Todd Rundgren」を聴く。1971年のセカンドアルバムである。私、実は思いっ切り空気読まずに告白させていただきますと、彼には全然思いいれがなかったりする。何故か知らないがあまり食指が動かないのである。しかしこのセカンドは何故か突然聴きたくなったらたまたま紙ジャケを中古で発見して聴いているのだ。これは良いアルバムですなあ、と今更、本当に今更しみじみ聴いている。タイトルではバラッドって言っているのに意外に豪快なロックンロールナンバーがあったりして良いですなあ、とか論点がずれているが、でもそういういかにもバラッドな曲は当然ながら全曲何とも心の深ーいトコロに響いてくるセンティメンタルなメロディがこれでもか、これでもか、と出てきてやられる。いや、本当に今更なんですが。孤独とか寂しさとか、そういうものとは違うのだが、どことなく自然と聴いているうちに不思議なことに自分自身と向き合わされてしまうような、そういう音楽だと思う。ピアノのリズミカルな具合が凄く印象的だがそれは強烈なジャケの印象のせいなのだろうか。もしそうだとしたら、やっぱ音楽にはジャケットも必要なんじゃない?と上の方の話と見事に調和を見せて纏められるのだが。

しかしこの紙ジャケ、歌詞も対訳もライナーもなくて、しかもアナログのジャケを再現、という感じでもないような勢いで、K2HDマスタリングだか何だか知らないのだが、ちょっとなんだか寂しさを覚えたりするのだなあ、歩くレコードストアデイ人間としては。