Zeros

mthdrsfgckr2009-09-29


先週土曜日の「Stereo」、日曜日の「AOBA NU NOISE」、お越しの皆様、企画・スタッフの皆様お疲れ様でした&ありがとうございました!両日とも何だか面白おかしく音楽をかけたりして楽しめました。何だかまだまだ色々な方々との新しい出会いとか元からの関係の強化とか、そういうものに刺激を受けまくっております。多分死ぬまで刺激を受けまくって生きていくのかな、とかふとこの間思いましたが、それも言いすぎではなかったなあ、とか思える人生にしたいものです。

さて、10月もレギュラーAOBAに加えて何だかハロウィーン関係パーリーでDJをすることになりそうです。色々詳細決まったらアップしていきますのでお楽しみに、です。

しかしそのような享楽的な週末を満喫したら(勿論その前にごっついファックとしか言いようがない仕事の日々もあったわけだけれども)、なにやらこの期に及んで疲労がぶわーと噴出してきて、まるで「フランダースの犬」の最終回のような勢いで日々を過ごしている。毎日宗教画の前で死んでいるわけだが、別に迎えに来てくれる天使などいるまでもなく、という日々である。

そんな感じなのに9月は終わりを迎えようとしていて、それでもって来月は1歳年齢を重ねてしまう月なわけである。私は果たして四捨五入して40歳、という年齢に相応しい生き方をしているのだろうか、と自らに問いかける日々なのであるが、答えは毎回勿論Noだったりするわけである。だって先週末は2連発でDJなんかしているわけだし。

しかし、年齢、という客観的な事実と主観的な「私」という人間の捉え方の間に何やら大きな乖離が見られる昨今なわけであるが、私が私である限り、どっちを重んじて生きていくか、と問われれば「私」を重んじるしかないわけである。年齢なんてただの数字に過ぎないわけで、要は私という人間はこのまま、勝手にまつわる数字は増えていくけれどもこのままで生きていくしかないのだなあ、と最近とみに思うのであった。

まあそれはポジティヴに捉えれば決意表明、ネガティヴに捉えれば開き直り、とでも形容できそうなものなのだけれども、どちらにせよ変わらないんだろうなあ、という予感がひしひしとするここ最近であった。

Bruce Gilbertの「Oblivio Agitatum」を聴く。元(!)Wireのギタリストのソロアルバムである。いつの間に再結成Wireを脱退していたのか、という話もあるが、思えば彼のソロはそういうバンドとは遠く離れたところに存在している作品群ばかりだったので、脱退も別にそう不思議ではないのかもな、という気がする。前作はTable Of The Elementsからのリリースだったことを考えると遂にここまで来たか、というEditions Megoからのリリースになる新作である。まあ彼のソロ、と言えばハードな電子音響ものばかりだったので納得が行くレーベル選択である。ということで今作も実に今までの路線からあまり外れることのない電子音響作品なわけであるが、実は密かにこれまでとは印象が違って、かなり穏やかな表情を見せるアルバムだったりするのである。これまでの彼のソロ作は「インダストリアル」とかそういう形容も厭わないような結構ハードめのものばかりだったのだが、今作では若干穏やかな、そして更に静謐な印象を受けるようなそういう音になっているのだった。どこか鉱物的な、と言える輝きを放つ全3曲、33分強のアルバムである。KTLからギターとかそういう要素を抜き取ったような、Peter Rehbergのソロからハーシュな側面を取り除いたような、そういうしみじみと響く音色を追求していったような彼のソロ作品としては最高傑作と言える、そういう煮詰められた作品である。若いモンには出せないような、侘び寂び音響作品だったりする。ちなみにまず真っ先に思い出したのが元LoopのRobert HampsonのMainによる諸作品だったのだが、思えば10年以上の昔に共演してましたな・・・。Hampsonの新作Vectorsも結構詫び寂び作品だったわけで、ここに来て両者ともそういう展開になってきているのが凄く面白い。年齢を重ねれば重ねるほど、侘び寂びの、しかしエッジは保ったまま、という境地に達するものなのか、と考えると何だか凄く勇気づけられたりするのであった。