Music For Gymnastics

AOBA NU NOISEのTシャツです!

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朝6:20に起床、のつもりが、なんだか疲れていたらしく6:30まで粘って起床。起き抜けに枕元のiPhoneにまたたんまりとメールやらメッセージやらが寝ているうちに来ているのを確認し、一つ一つ読みながらパンを焼く。うち一つのメッセージは職場からで、車を今日は別の遠い駐車場に置けと言う指示。そんなことを朝送ってくるなんて、だったらもっと早く起きて早く出るわ、とむっとしながら身なりを整え出発。

 

車内では先日ブクオフで500円で奇跡の救出を果たしたJohn Cunninghamの「Shankly Gates」

を聴きながらLa-Di-Daレーベルに思いを馳せ、しばし癒しのドライヴ。

 

しかしその指示された例の遠い駐車場に着いたらチェーンがかかっていて停められないことになっていて、怒髪天を衝く。仕方がないのでそのまま職場まで行き車を停め、仕事。

 

仕事がまた新年度のことでどたばたの日で、まず午前中に2回怒髪天を衝く事態が発生。そのまま激怒しながら書類やら電話やらメールやらをこなし、怒りの形相のまま昼食にチーズささみカツカレーを食べる。

 

午後もまた私が発する声は全て怒声、という事態をくぐりぬけやっと一息ついてふと壁を見、そして窓の外を見る。窓の外には雲一つない青空。春だ。春だから、花粉、そして年度末の殺気が空気中に放たれ、そして雲散霧消していく様を夢想する。いや、見える、全ての人間の醜さが、そして不都合なことを捏造だと必死に言い張る政治家や、戦争しか考えない異国の、自国の人間の醜い精神が飛び散り浄化され、地に帰り、そんな醜悪なものから生まれたとは想像もつかない美しい花を咲かせる様が見える・・・

 

どうやら15分くらい本気でぼんやりしていたらしく、また内線の電話がけたたましく鳴り現実に引き戻される。また眉間にしわを寄せ、こいつの内臓を抉り出すためにはどれくらい鋭利な刃物が必要なのか、いやむしろ鈍らの刃物がうってつけだ、それに値することをお前はしている、と憎しみの権化となりながら残りの時間を過ごし、しかし終業間際に全て片をつけ、Momusの3枚のシングルをまとめた「Monsters Of Love」

Monsters of Love

Monsters of Love

  • アーティスト:Momus
  • Creation
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を爆音で聴き、この間の週末の東京での収穫はMomusのデビュー12インチだったな、el Beneluxから出てた奴。el Beneluxと言えばShockheaded Petersもだな、elレーベルはむしろ後から俯瞰して聴き始めたけれども、それが結果的に良かったかもな、ポップなイメージだけで聴くことにはならなかったわけだしな、などと考えながら80年代末から90年代頭の時代、自分の経験していた世界と今振り返ってみてわかった当時は知らなかった世の中の動きとかに思いを馳せながら帰宅したのであった。

 

昨日のエントリであと4回くらいは年度内に激怒しそうだ、と書いていたのだが謹んで訂正し、その数を上方修正してあと8回くらい、とさせていただく。何故なら既に今日1日だけで4回はもう激怒していたからである。

 

Jordan De La Sierraの「Gymnosphere: Song Of The Rose」を聴く。

ふと興味を持って調べてみたら、またしてもNumeroからのリリースだった・・・。なんだか最近レコード買う人は多かれ少なかれNumeroの影響を感じずにはいられないと思うのだが、その思いを新たにする出来事である。さて、1977年にもともとはリリースされていたピアノソロアルバムで、La Monte YoungやTerry Riley、Pandit Pran Nathの影響を受けた、と言われる彼のピアノ作品がアナログ4面に渡って展開されるのだが純正調のピアノが、何だかおぼろげな感じで響き、録音のせいも相まってか、本当にピアノだけなのか、と思わせられるような不思議な響きが印象的な作品である。夜空の雲のかかった月を見上げた時に感じるような、何とも言えないマジカルな気持ちを思い出すような。ニューエイジ的、とも言えなくもないのだが意外にピアノの手数が多い曲とかもあって、ミニマル、というのとも違う幻想的な作品。この間衝撃の再発が出たColette Roperのロウファイな儚さともまた違う、重厚な儚さとでも言えるようなどしんと来る。ブックレット等からもビンビンに来る若干のスピリチュアルさ(宇宙の話が・・・)がまた何とも刺さる作品。