One Of The Bredrins

AOBA NU NOISEのTシャツです!

aobanun

前回の拙ブログのエントリに関して補足すると、客の悪口だらけの飲食店のツイート(なんだっけ、Xだったら何て言うんだっけ?)とか見ると、ああ美味しく食べててもそう思われてんのかな、って凄い嫌な気持ちになって安心できないので、そういうお店行きたくなくなる、っていうケースもあったりする。

 

さてと。私の今の車にはナビがついているのだけれども、そもそもその車が2008年のものなので、ナビもその時代のもの、なのである。私これまでカーナビとは無縁の生活を送っていたもので詳しくは知らないのだけれども、ネットとつながっていなかったりしなければ更新もされないものなのですな。

 

ということで当然ながら震災前の風景が私のカーナビ上には展開されており、先日石巻の親戚の家に行った際には全く何が何だか地図とリンクしない光景が現実には展開されていた。また震災の被害、というのとは別のベクトルで造成された区画とかも結構あって、ナビ上では道なき道、まるで大海原を航海しているかのように矢印が突き進む光景を目にしていたりもする。

 

となると、これは最早目的地に正確に着くためのナビゲーション、としての機能とはまた別の意味が与えられたもの、という認識で見ないと最早カーナビの存在意義はなくなってしまうので、そのように捉え始めた(なんなら取っ払ってCDプレイヤーでも突っ込みたい、という衝動に駆られ始めていたので)。そう、これは古い地図、なのである。

 

最近仙台でも昭和39年当時の地図が復刻されて販売されていたり、とかする(私も買った)。それを鑑みて、「昔あったもの」を確認するもの、つまり昔の詳細な地図が私の車の運転席には付いている、という認識になった。そうなるとこれが凄く不思議なもので、最早今はない道、店、建物が次々に画面上には表示されて、それを見ながらそれらが最早存在していない現在の道路を車で進んでいく、というなかなかにビザールな体験ができて、非常に面白い。大分ねじ曲がった話ではあるけれども、何だか凄く楽しい。

 

そして「今」は「今」でしかなく、次の数分後、数時間後、数年後は全く同じではない、ということも改めて感じさせられて、何だか非常にメメント・モリな感じになってしまうのである。人間古いカーナビが車に付いている、というだけでこんな気持ちにさせられてこんなことまで考えてしまうんだから、本当に厄介な生き物である、ということも改めて認識したりするものである。

 

そんな私の車内の昔の地図を見ると気づくのは、寺とか神社とかは全く変わらずそこに存在している、ということであり、人間の脳内の産物を具現化したものは人間そのものの営みよりも永続するものなのだなあ、と感慨深くなったりもする。

 

しかし実用性で言えばiPhoneGoogle Mapのカーナビ機能なわけである。「今」を象徴するような話であるけれども、全てがネットワークでつながり「実用性」というワードに全てが集約されていってそれが全てであるかのようなこの世の中、なんか見落としているものもあるのかも、と当時は最先端であった、今では「昔」の「古い」地図として機能している我が車内のカーナビは私に問うているのであった。

 

そんな錯乱のドライヴ(The Cars)のBGMはJai Paulの「Leak 04-13 ( Bait Ones )」である。

2013年に何者かによってBandcamp上で、作成中だったファーストアルバムの音源がリークされてしまい、その後の活動がストップ(犯人は逮捕されたらしい)、今年に入って初のライヴ活動とか新曲発表、など活動も活発になった彼の、その流出音源のヴァイナル化、セカンドプレスである。まあ厳密にはクリアにはなっていなかったサンプリングとかは除いた形のようなので流出音源そのものではないようであるけれども、このようなものをリリースできるようになった、ということで彼のトラウマとかショックとかの克服の様子もうかがえる、というものである。当然ながら全トラック未完成だったりデモ段階だったり、ということで完成度という観点からいくと満足ではないレヴェルなのだろうけれども、それでも、もしくはそれ故に、強烈にぶっちぎりな魅力が溢れているのは否めない。Princeっぽい、マルチインストゥルメンタリストでもある彼のその密室的な感覚が凄く良く逆説的にこのなんだか謎の音質の音楽には詰め込まれており、その官能的なメロディの断片と共に、強烈な印象を残す。ローファイなR&Bの完成形なんです、と言われても信じてしまいそうなおそらく本人が望んだベクトルではないであろうけれども、そういう方向での名盤確定、という不思議な1枚である。このもこもこどこどこした低音と、甘いヴォーカルと突如としてぶった切られたりするシンセの上物が、本当にスリリングでずっと聴いていたいと思わせてくれる。もしかしてこのアルバム、完成していたらこんなに私は盛り上がらなかったかも?とかそういう変な思いも湧き上がってくるから厄介である。でも今後の展開も大いに楽しみな存在であることは間違いないわけで、そういう意味でこれがこのような正規の形で出たのはラッキーだったのかも知れない。